生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

好きな食べ物がある

子どもたちは、食べ物で何が好きかと人に聞かれたら、すぐに答えるのだろうか。

今はもう収入もあり勝手に外食もできるし、美味しいものをたくさん知っているだろうから、好きな物は次々と出てくるのかな。


毎日家で食べていた頃の食事の記憶は、どんなものだろうか。

お母さんのハンバーグ美味しかったなぁ、とかの楽しい食卓の記憶はないんじゃないか、と思う。

私が作れなくても、夫が作ってくれたり買って来てくれたりして、食事の用意はされていたはずだけど、食事ってそれだけじゃないから。


小中高と多感な時期に、子どもの気持ちに寄り沿った温かい食卓にできなかった。

そのことは、その後の子どもたちの力で補強して、人生にはほとんど影響がないようにしてもらえるだろうか。


私が二十才の頃、書道教室を手伝っていて、先生から何かご馳走してあげると言われたことがあった。

何度も、何が好きかと聞かれて、何も思いつかなくて、とうとう「お豆腐」と答えたら、先生が困った表情になって、結局近くの洋食屋さんに連れて行ってくれた。

何を食べたのかは覚えていない。


母は毎日忙しい中、食事を作ってくれた。

八宝菜があったと思う。
ハンバーグも作ってくれたと思う。
きっとお味噌汁もあった。

でも、わるいとは思うけれど、あまり覚えていない。