生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

また逢う日まで

次男は今、就活中で、でも、コロナの影響で説明会がなくなったり、Web面接になったり、先輩に会えなかったり、友だちにも会えなかったり、大学も閉鎖で大変だろうと思う。

明るくしゃべってくれるけれど、どんな気持ちなのだろう。

もう志望の幅をかなり広げてでも早く手応えをつかみたい感じなのかな。

でも、エントリーシートや面接では、軸がぶれていてはいけない、らしい。


どこも採用人数が少ないのに、私はぶれません、御社一本でいきます、なんてできるはずないし、そもそも21才で、この会社でこんな理由でこんな仕事を絶対にしたい、なんて考えられるのだろうか。


自分はこんな風に生きたい、できれば社会でこんな役割を果たしたい、という思いが叶いそうな業種、職種、職場なら、そのいくつかの会社がたとえ違う業界だったとしても、ぶれていることにはならない気がするけれど。


父が入院中、父の好きな音楽をスマホで聴かせてくれた次男。

お通夜や葬儀では会場の器機にスマホが繋がらなくて他のみんなは諦めたけれど、部品を買って来てくれて、父が好きだった数々の音楽をずっと流すことができた。


そのうちの一曲「また逢う日まで」を口ずさんでいる次男に、おじいちゃんがいないのまだ信じられへんわぁ、だから涙も出ない、と話してみた。

次男は、お母さんが一番苦しかったんは入院してた時やと思うで、と言った。


確かにそうかもしれない。

救急車で運び込まれた時、検査後すぐに延命措置の希望を聞かれたのだから。


本当は子どものたちに父のことを謝らないといけないけれど、まだできない。


今日は音楽を聴こうかなと思う。