生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

No.100 法事のあと木のお皿を買った

昨日の続き。

法事の後、お寿司を用意してもらっていて、
母が、これあなたの、と私に教えてくれた。


そういえば母は私のことを、Mちゃん(私)とか、お姉ちゃん、と呼んだりしていて、ほんのたまにこうして「あなた」と言う。

私が母のことを内心、あの人、と呼んでいるのとは少し違う。


母は、自分が「世の中っていうのは怖い所だよ」と私に教えたのに、仕方なく一人で戦う生き方を身につけた私のことを、いつしか怖がるようになったんじゃないか。


だから私のことは、しっかりした子、きつい子、怒られそうでちょっと怖い、と思っているのだろう。


母にとっては全部が本当のこと。

一生懸命生活して、本当のことを話す母。


母を責めることはできない。
父にももう謝ることはできない。


だから、母のことも父のこともチョコンと置いておいて、ただただ生きて、進めない自分も許してあげたい、と思う。



早く家に帰れたので、この間次男がニトリで選んで買った木のお皿を、また買いに行った。

手作りで、1枚1枚明らかに重さが違う。
アカシア、フィリピン製。

どんな人が作ってくれたんだろう。

テーブルとほぼ同色なのでとても馴染んで、そしてとても温かい。


自分の服や持ち物は買う気持ちになれないけれど、こんな買い物はいいな。