神さまの代わりに自分に優しく
「人の悪口を言うのはよくないこと」
について、このブログに書いたことがある。
幼かった私が受け取り、その後ずっと守ってきた規範。
悪口ぐらい、言えるなら言えばよかった。
そうわかるのに何十年かかったことか。
そしてもう一つ、私の人生の初期になかったらよかったと思う規範が
「我慢することは良いこと」
若い人に話したら、そんなバカなこと思ってないです 、と笑われるに違いない。
子どもの頃、我慢する子は「偉い子」だと私は思っていた。
子ども時代を過ぎても、神さまが見てくれているから、と信じてきた。
「頑張る」なら、それが良い結果に繋がるかもしれないけれど、「我慢」は理に敵ったことしか報われない。
ほんとに気づくのが遅すぎた。
神さまは、生きるために必要なことを我慢している人、頑張る人、の応援で精一杯。
だって、それらの人は世界中に果てしなくいるから。
だから、なんにも良い事がついてこない我慢は、子どもにはできるだけさせないで、と思う。
大人も、自分のためでも誰のためでもないただの我慢はできるだけしないで、神さまの代わりにもっと自分に優しくしてあげて、と思う。