生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

遠い昔ブラウニーだった

f:id:kannpai:20200909183823j:plain小学1年生から数年間ガールスカウトに入っていたことを思い出した。


台風の話題で、備えよ、という文字を多く見たからだと思う。


あの頃、「そなえよつねに」とよく教えられた。



初めの年は「ブラウニースカウト」だった。
今もそう呼ぶのかな。


ネットで見てみると、その名称はあった。


そして何と今年は、イギリスで結成されたガールスカウトが日本にやってきて100周年らしい。


ガールスカウトは、「自己開発」「人とのまじわり」「自然とともに」の3つをポイントとして活動に取り組み…と唱っている。


けれど、「そなえよつねに」という言葉は見つけられなかった。


不思議だなぁ。


ガールスカウトでの思い出は、キャンプ、そのための準備にロープの結び方、手旗信号などの練習。


なぜか、バトントワリングの練習もかなりした。



翌朝キャンプという日、持ち物に、毛糸2色で編んだ棒ネクタイが必要で、心配だったことがある。


毎日仕事で忙しかった母に頼みにくくて、ギリギリに言ったのかもしれない。


大丈夫。
朝までに編むから早く寝なさい。


ホッとした。
朝起きるときれいなネクタイがキチンと仕上がっていた。


ガールスカウトに通うのに持っていたカバンも、しっかり記憶にある。


父が着なくなった紺色のオーバーコートの生地を使い、母が作ってくれた。


動物のアップリケがついていた。


その前。
幼稚園のお遊戯会だったか、役で白い服を着ることになった時も。


服が買えなかったか、手に入らなかったか、母は白い毛糸を2、3玉使ってすぐに編んでくれたんだった。


次々に思い出される。


母が一生懸命してくれたことは、きっともっともっとある。


それには本当に感謝しないといけないと思う。