挽回しなくても大丈夫
アンカーのランです。
失敗しても何かを得なくちゃいけない。
今でもそう考えてしまいます。
そう考える習慣がついていると、失敗の辛さがいつまでも続くのです。
失敗するような自分だから、その事から何か得るなんてできなくて当たり前なのに。
幼稚園の運動会で、一生懸命走っている子どもが転んでしまいました。
転んだのは仕方ない、でも転んだからには何かを得ろ、悲しい思いをした分何かをつかめ、と言われるでしょうか。
転んだね。悲しかったね。
それだけだと思います。
それがだんだん大きくなるにつれ、転んでも何かを得なくちゃいけなくなる。
一部の人は、ずっとそう期待され、あるいは自らそう思い続けるのです。
どうして逆境にいる人に何かつかむことが期待されるのでしょう。
失敗したんです。
ただそれだけです。
それを受け入れるだけでも大変なのだから。
失敗をバネにしなくてもいいです。
挽回しなくても大丈夫です。
私は子どもたちに期待していたと思う。
言葉にもしていたはず。
猫と一緒に暮らすようになって、自分に求めるものが少しずつ減ってきた気がします。
それは子どもたちにも伝わっていると思う。
がんばってるねぇ。
ちょっと休んだら?
楽になることが、自分を幸せにするよ。
あの頃、長男が何度も猫を飼いたいと言ったのは、動物が好きなだけではなかったんだろうな。
母親が楽になることが、家族を幸せにするよ。
少なくともわが家の場合はそうだったと思う。
もっと早く気づくべきでしたが、気づかないよりは良かったです。