自分の重さだけになって
アンカーのランです。
ゆっくり新年を始めています。
昨年末、年賀状は出そうと決めて、ネコや犬の写真を中心にいつものようなデザインで製作、夫の分の宛名書きもしました。
でも、自分の分は結局書けませんでした。
それどころか、私宛に届いた年賀状を見ることもできず、失礼なことになっていました。
長いつき合いの人の顔を思い浮かべて思いがあふれたり、幸せそうな人の報告に大きく動揺すると思う。
それで躊躇してしまったのです。
週末にとうとう目を通し、誤解があると困る数人にだけ寒中お見舞いを書きました。
今の私に心から心配な相手はいません。
きっと私よりは賢くやっていけていると思う。
このまま途切れてしまったら寂しい人もいますが、本当につながりたい人とはまたつながれる気がします。
途切れてしまえば、そのくらいだったということかな。
お元気ですか?どうされてますか?と、毎年心を込めて宛名を書いていました。
ありがとう、と思いながら言葉を添えていました。
あなたにとって良い年でありますように、と心から願って出してきた年賀状。
絶対に伝わっているはずです。
だから、たとえプツンと切れてしまっても悔いはありません。
最後に失礼なことをして申し訳なく思うけど、何かわるいことしたかな、なんて相手は思っていない。
なぜかそんな自信があります。
断捨離ではないです。
捨てるのではなく、一旦全て手放したのです。
生きていくために、だんだん自分の重さだけになってきました。