アンカーのランです。
昨日自分で書いたことがなんだかヒットしました。
子どもが思い出してくれる私の顔は笑っている顔がいい。
自分の言葉が自分の心に響くこともあるんですね。
変な感じです。
今なら間違いなく、しんどそうな顔、悲しそうな顔、怒ってる顔、困ってる顔、ぐらいでしょう。子どもたちが思い浮かべる私の顔は。
子どもたちが小さい時の私も最近の私も、笑っている顔は絶対少ないよね。
そう思うと悲しくなりました。
もう筋肉がそれ用に固まっている気もします。
特に今はマスクをしているので、外で人に良く思われるように微笑みを作る必要もないし。
口角は下がりっぱなしのはず。
怖いです。
口角を上げているだけで脳は幸せな気持ちだと誤解するらしいですが、今は脳は、気分は全然良くないです、の連絡を受け続けているに違いありません。
気分は良くないよ、でもがんばってより良い判断しろよ、なんて。
可哀想な脳。
とにかく笑わないと。
義務でも不自然でも構いません。
次男がひどい反抗期だったある日、私の顔をじっと見ていたのを思い出します。
困り果てていた私が家族がつけていた「吉本新喜劇」を観て思わず笑っていたのでした。
こんなに困らせてるのに私に笑っててほしいんだ。
そうでした。
また忘れていました。
子どもたちに笑顔の母を。
悲しいって言ってるのに。
昨年4月から言い続けてるのに。
信じられないくらい悲しいのに、こうして毎日なんとか外出して人としゃべって。それだけで私はとても偉いのに。
それなのに笑えって。
スパルタだと思う。
ほんとに生きていくのって厳しいと思います。