力は抜けても餃子は美味しい
アンカーのランです。
昨夜、餃子を作りました。
大きめのを45個。
簡単な餃子です。
茹でた白菜をみじん切りにしてしぼり、みじん切りのニラ、豚肉ミンチと合わせて塩コショウとゴマ油をかけて混ぜる。
あとは市販の皮に包み、ホットプレートで焼くだけ。
家族の誰かが買って来ていた餃子のタレをつけて食べました。
夫と長男は、美味しいと言ってくれました。
ニンニクを入れ忘れたし、この間次男がチーズを入れて好評だったこともすっかり忘れていた、シンプルな餃子だけど。
でも本当は、私は待っていました。
え?料理できるようになった?の言葉を。
昨年春から料理ができなくなっていました。
野菜を切る、次男が餃子を作ってくれた時に包むのを手伝う、冷凍素材をそのままお鍋に入れた煮物を一度、などはありましたが、それ以上のことは初めてです。
コロナの影響でお弁当がよく売られていたのでそれを買い続け、買って来た物をホットプレートで焼き、あとはほとんど夫が用意してくれた。
そんな1年でした。
なので、簡単な餃子でも、自分ではすごいなと思いながら作ったのです。
料理はとても創造的なもの。
家事の中で一番エネルギーが必要です。
父のことを受け入れられない。
どうしたらいいのかわからない。
エネルギーが貯まる理由がない。
でも、何かの弾みで、まな板にキッチンハイターをかけ、夫にひき肉を頼み、頭の中でシミュレーションをし、45個が完成しました。
そこで、この1年余りと今の私の気持ちに共感してくれた心からの言葉があればどんなに…。
途端に抜けていくのがわかりました。
さっきまで少しあった力が。
私は夫に期待し過ぎなのかな。
でも餃子は美味しかったです。
心と身体はつながっているはずだけど。
身体が心を置いてきぼり?
意外と手をつないでいない時もあるかもしれません。