炭治郎が妹のためなら私は自分と誰かのため
アンカーのランです。
今日は仕事がないのでずっと動けないでいました。
暑くなってたくさん毛の抜けるニャンコのブラッシングをしていたら、急に足の爪でやられました。
気持ち良さそうだったのに、どうして怒ったんだろう。
腕に何本もミミズ腫れです。
今日も『「鬼滅の刃」で心理分析できる本』(著者:清田予紀さん)から少し。
引用もさせて頂きました。
以下、ネタバレあります。
鬼殺隊の剣士には実は報酬があるそうです。
でも命をかける程のものではない。
では、それでもみんなの士気が衰えないのはなぜでしょう。
それは、剣士たちは「報酬を度外視して」戦っているから。
志を持っているからです。きっと。
「モチベーションには、内発的なものと外発的なものがあります。
内発的なモチベーションとは、自分の心の内から湧き出てくるもの。」
炭治郎なら「禰豆子を人間に戻すために、鬼をこの世から一掃するために」ですよね。
「外発的なモチベーションとは、外から与えられるもの。
お金がもらえるから、とか、罰を受けたくないから」とか、褒められるから、とか。
もちろんこれが有効なこともあります。
でも、ずっとそれだけでは続かないのですね。
なんとしてもこうしたい、と自分の中から湧き上がる気持ちがある方がモチベーションは下がりにくい、というのは実感できます。
ところで、「何をしても無駄だということを経験することで無力感に陥ってしまい、その状況から抜け出すための抵抗・回避をしなくなる心理現象」を「学習性無力感」と言うそうです。
昨年から応募3回目になる今回も書類選考で落ちたらしいことを、どう捉えたらいいかな、と考えていました。
でもなぜか、モチベーションは下がっていません。
もっと働いて、もっと役に立って、自分を認めたい。元気になりたい。納得したい。幸せな気持ちになりたい。そしてその納得や幸せを人に分けたい。
償いも挽回ももうできないけど、失敗ばかりしてきたけど、うまくいかないことが多すぎたけど、しんどい人生をこんなに進めてしまったけど。
もう動けないと思ってしまうけど。
でも、炭治郎が愛する妹のためなら、私は愛すべき自分と誰かのため。
内発的モチベーションが学習性無力感よりも、今、勝ってる、と思うのです。