アンカーのランです。
今日も少ないエネルギーでなんとか過ごしきりました。
ジェットコースターもフリーフォールも注射も吊り橋も苦手なのに、どうぞ、と言われて大人だから黙って全部こなした感じです。
大人でも共感してほしいです。
しんどいね、大変やね、と声を掛けてもらったらかなり楽になります。
今日はしんどいながらも、何人かとそんな言葉を交わせたので助かりました。
共感してもらうことが一番必要な幼い時にそれが叶わなかったら、叶わなかったな、とは思わないでしょうね。
そんなことも考えていました。
痛いのに、痛いってことがわかってもらえなかった、とは思わない。
なぜなら、私はこんなに痛い、という気持ちが育たないからです。
もっと言えば、「私は」も育たない。
もう少し大きくなって、悲しいことが起きた時に、それは悲しかったね、と誰かにそばで言ってもらえないと、それが続くと、悲しさの感情はだんだん抑え込まれていく。
だってそんな感情を表現しても、わかってもらえて楽になった、と経験できないのだから。
それは悲しかったね、と言ってくれない人はどんな人でしょうか。
1人は、その悲しさを本当に想像できない人。
1人は、泣いてはだめ、強く生きなさい、と自分自身が言われて育った人。
1人は、混乱の中にいる人。
他にもいるかもしれないですが、この3人は重なっているでしょうか。
それともスペクトラムでしょうか。
私は根本的に違う人なんじゃないかと思うのです。
でも、できることなら3人ともの。
その手をそっとつなぎたい。