生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

それが叶わなかったら、叶わなかったな、とは思わないでしょうね

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アンカーのランです。


今日も少ないエネルギーでなんとか過ごしきりました。


ジェットコースターもフリーフォールも注射も吊り橋も苦手なのに、どうぞ、と言われて大人だから黙って全部こなした感じです。


大人でも共感してほしいです。

しんどいね、大変やね、と声を掛けてもらったらかなり楽になります。


今日はしんどいながらも、何人かとそんな言葉を交わせたので助かりました。



共感してもらうことが一番必要な幼い時にそれが叶わなかったら、叶わなかったな、とは思わないでしょうね。

そんなことも考えていました。


痛いのに、痛いってことがわかってもらえなかった、とは思わない。


なぜなら、私はこんなに痛い、という気持ちが育たないからです。


もっと言えば、「私は」も育たない。


もう少し大きくなって、悲しいことが起きた時に、それは悲しかったね、と誰かにそばで言ってもらえないと、それが続くと、悲しさの感情はだんだん抑え込まれていく。


だってそんな感情を表現しても、わかってもらえて楽になった、と経験できないのだから。



それは悲しかったね、と言ってくれない人はどんな人でしょうか。


1人は、その悲しさを本当に想像できない人。

1人は、泣いてはだめ、強く生きなさい、と自分自身が言われて育った人。

1人は、混乱の中にいる人。


他にもいるかもしれないですが、この3人は重なっているでしょうか。
それともスペクトラムでしょうか。


私は根本的に違う人なんじゃないかと思うのです。


でも、できることなら3人ともの。
その手をそっとつなぎたい。