同じ土俵に上がってこそ誰かが敵になり得るのでしょう
アンカーのランです。
涼しくなって来ました。
こんな寂しい季節はまもなく過ぎます。がんばれ。
何を見ても寂しいなら、できるだけ見ないで楽しいことを空想すればいいです。
自分はいつでもどこでも自分の味方です。
敵、いないでしょう、と言われることが時々ありました。
敵なんていませんよ。
味方もいませんけどね。
同じ土俵に上がってこそ、誰かが敵になり得るのでしょう。
敵を作るような状況にはほとんどいません。たぶん。
どう返事をすればいいかわからず、どうかな、とか言って終わらせてましたね。
敵のいない人格者、なんかではないです。全然。
万が一、自分が戦う相手と見なされていることを感じたら、即刻逃げますね。
気づかないフリです。
そんなこと興味ない、と。
私はそんなことより今寒くて困ってるんです、みたいな。
私なんて相手にしても面白くないですよ、っていうのは結構伝わりますね。
そんな態度はもしかして得意なのかもしれない。
誰かと闘うエネルギーなんて全くないので、早々によそを向いてもらいたい。
だから自然と身についたのかもしれないです。
急に「天然」という言葉を思い出しました。
私もそんなふうに捉えられることがありましたが、私の場合はこの「逃げ」がそう見させたのでしょう。
ところが、事が他の人も絡んでくると葛藤で苦しくなるのです。
自分だけ逃げるのはズルい、と。
私はズルくない、ぐらいしか自分を支えるものがなかったのですね。
今でも、誰かのためなら土俵に上がってやる、とエネルギーもないのにそんな気持ちは持っています。
自分のためなんだろうと思います。