生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

同じ土俵に上がってこそ誰かが敵になり得るのでしょう

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アンカーのランです。


涼しくなって来ました。


こんな寂しい季節はまもなく過ぎます。がんばれ。


何を見ても寂しいなら、できるだけ見ないで楽しいことを空想すればいいです。


自分はいつでもどこでも自分の味方です。




敵、いないでしょう、と言われることが時々ありました。


敵なんていませんよ。
味方もいませんけどね。


同じ土俵に上がってこそ、誰かが敵になり得るのでしょう。

敵を作るような状況にはほとんどいません。たぶん。



どう返事をすればいいかわからず、どうかな、とか言って終わらせてましたね。



敵のいない人格者、なんかではないです。全然。


万が一、自分が戦う相手と見なされていることを感じたら、即刻逃げますね。


気づかないフリです。
そんなこと興味ない、と。


私はそんなことより今寒くて困ってるんです、みたいな。


私なんて相手にしても面白くないですよ、っていうのは結構伝わりますね。


そんな態度はもしかして得意なのかもしれない。


誰かと闘うエネルギーなんて全くないので、早々によそを向いてもらいたい。
だから自然と身についたのかもしれないです。


急に「天然」という言葉を思い出しました。


私もそんなふうに捉えられることがありましたが、私の場合はこの「逃げ」がそう見させたのでしょう。



ところが、事が他の人も絡んでくると葛藤で苦しくなるのです。


自分だけ逃げるのはズルい、と。


私はズルくない、ぐらいしか自分を支えるものがなかったのですね。


今でも、誰かのためなら土俵に上がってやる、とエネルギーもないのにそんな気持ちは持っています。


自分のためなんだろうと思います。