生きていくためにずっと必要だったのですから
アンカーのランです。
もうしばらく工事はやめとこな、と朝キッチンで夫が言っていました。
今回のリフォームはテレワークの夫にほとんどを任せた訳ですが、業者さんが来られた時のチャイムに対応、駐車場の手配、あとはそんなになかったと思います。
16日間と言っても毎日工事があったのではないし。
例の宙に浮いた戸棚の片側がバンッと閉まる件は、戸棚ごとやり直しではなくストッパーの調整で済むとのこと。
前の戸棚にはストッパー自体なかったので、戸棚ごとのやり直しなんて絶対にいいです、と思ったのです。
夫にそう言うと、そうやなぁみたいな反応だったのに、翌日、もう戸棚の中は物入れていいって言うてはったよ、と。
いつ言うてはった?
その時。
戸棚ごとやり直しなんてせずにストッパーを調整できることを、最初から知っていたらしい。
じゃあその時になんで私にそう言ってくれへんかったん?
言うたつもりやった。ごめんごめん。
今回の場合は夫がわるいとわかりやすいですが、お互いの「つもり」が違うことが私たちにはよくあるのですね。
ボクはこういうつもりやった。
え?そういう意味やったん?
よく夫は言います。
私は自慢じゃないですがきっと想像力がある方です。
人の気持ちについては特にだと思う。生きていくためにずっと必要だったのですから。
表情や声や言葉、人間関係についての感度は高い方だと思います。
夫は高くない。いえ夫は普通なのに、私は意地悪でとても省いて話しているのです。
え?どういうこと?
省かんと言うて。
いつのこと?何のこと?
相手の意図がわかる、人の気持ちを想像できる、などという能力はあるかないかではないでしょう。これも程度はスペクトラム。
夫は私ほどはそれを必要としない人生だったのです。
何のことって?
直前に言ったことがテーマやで。だいたいは。
本当に私は意地がわるいと思う。