アンカーのランです。
今日も外勤でどっと疲れました。
まだ今日の場所は自宅に近い方なのでよかったです。
それに、同じ職種で同じ弱い立場の人に会えて、その人たちは子どもくらいの若さですが、思いのままに話をしてとても気持ちがほぐれました。
帰り道も一緒だった人と、週末は仕事のことは忘れてゆっくりしようね、となぐさめ合いました。
別れる時、今日は何美味しいもの食べようかな、と笑った彼女の可愛かったこと…。
さて、私も食品を買いに寄り道したら、ビーフンも並んでいました。
この間の会話を思い出します。
ビーフンってなんで美味しいんやろね
え?ビーフンって美味しいよ
こんな会話だったのです。
ビーフンがなんで美味しいんやろね
1文字変えると意味が通ります。
そう聞こえたのでしようか。
ちなみに、「なんで」は「なぜ」です。
もしくは
ビーフンなんか、なんで美味しいんやろね
と聞こえた?
たぶん、相手の人は途中が聴き取れなかったのです。
一部分が聞こえないと、一瞬で前後から判断して今までに聞いた回数の多い文、要するに自分が馴染む文に聴き取れてしまう。
結構すごい能力ですよね。
そうやってすぐに補っていちいち相手に確認なんてしないので、時には大きな間違いが起こることも。
反対に、そのすごい能力がないだけのことを、弱点とみなされたりも。
新米の炊き立てってなんで美味しいんやろね
こんなふうには言いません。決まっているから。
ビーフンってなんで…、には、ビーフンなのに、という私が全然意図していないことも含まれてしまっているように思えてきました。
私はビーフンが美味しいことをただ伝えようとしただけですが。