いつか子どもたちがこのブログを
アンカーのランです。
今日は仕事を休んでゆっくりしていました。
もう全部投げ出してどこかに行きたいなと考えてみたり、やっぱり明日は頑張ろうと思い直したり。
一度書いておきたかったことがあったので書くことにしました。
もしいつか子どもたちがこのブログを読んだら、についてです。
家族は私がブログを書いていることは知っていますが、読んだことはありません。
でも、いつか子どもたちがこのブログを読む可能性はあります。
たぶんないと思いますが。
もし読んだら、どう思うのだろう。
重苦しい、あるいは訳のわからない、あるいはカッコわるい、そんな文章を延々と綴っていた母のことを、子どもってやっぱり嫌でしょうか。
では、わざとでなくても大きな間違いをしたり、失敗ばかりしていた、そんな母がそれをどう捉えてどう生きていたら子どもは嫌ではないでしょうか。
表現がわるかったり、記憶が正しくなかったりもよくあったと思います。
軸なんてブレブレだったでしょう。
書きながら一本になればいいや、と何の見通しも何の覚悟もなく書き始めた日も多かったです。
人のわるぐちは書かない。読んでくれた誰かが傷ついたり嫌な気持ちになるようには書かない。
そう思っていたけど、やっぱりそれも無理なことでした。
また軸がぶれていました。
わが子がそんな私のブログを読んでしまった時の心配でした。
オレの母さんって、頭わるい人やったんやな。
だから色々うまくいかなかったんやな。
でも、頭わるくても開き直らないで諦めないでもがいて、少しでも人生を良くしようとしてたんやな。
結局伝えたかったのは、この世界は信じられるから人に助けてもらって幸せになってね、やろな。
そんなこと、とっくにわかってるのに。
いつかもし子どもたちがこのブログを読むことがあれば、こんなふうに感じてくれたら嬉しいなと思います。
これからも書いている最中はきっと忘れているのですが。
明日は6時すぎまで眠れますように。