生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

二人にはねたみという感情がない

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アンカーのランです。


昨日は以前一緒に働いていた人と食事をしました。


私を含め3人、話はとても弾み、時々こうして会っていたらもっと楽な日々を送れていたのかもしれない、と思うと残念にもなりました。


それって理不尽じゃないの?それって搾取されてるんじゃないの?と感じることもあったので、心配も増えてしまいましたが。



二人には妬みという感情が全くないようでした。
出していないというより本当に。


なので、意地悪な気持ちとかもなくて、魂胆などというのも縁遠い。


だから安心して談笑できるのですが。


被害感もあるのかないのか。


二人のいる位置を何かふさわしい言葉でと探すと、諦めや達観あたりかなと思います。


諦めと達観って聞こえがかなり違いますが、達観には諦めも含まれますよね。


いくつもの諦めの先に達観がある。
そんな表現もあり得ると思う。


二人とも人を支援する仕事です。
多くの人と関わり、ストレスもあるに違いない職場。
労働時間は長くなかなか休みも取れないと。


なので忙しさについてのグチは出しますが、誰かを強くわるものにしたりはしないのですね。



こんなきれいな時間が流れると、わるぐちを言えないんですけど。


少しでも言ってしまうと途端に自分がカッコわるく思えてしまうんですけど。


それでもせっかくだし聴いてほしい。
だって支援職でしょ。


そう自分にけしかけますが、きれいな心を向けられるとダメです。



二人はいつ何を諦めたのでしょうか。


私はもうほとんどを諦めているつもりだったのに、まだまだ諦めていないことに気づきました。


諦めた方がいいことと諦めてはいけないことがあるんだった。


整理が追いつきませんでした。


なのでとりあえずわるぐちはすぐに止めて、自分はもっと自信を持てるよう認められるよう努力するべきだと思う、と話していたのでした。


私には達観はほど遠いです。