私の代わりに相棒が
アンカーのランです。
楽に話せることが増えてくると、かなりの速さで周りの人が変わってくるのですね。
というのは錯覚で、自分の感じ方の問題が大きいと思います。
確かに周りの人も少しずつ変わってきてくれると思いますが。
言葉で表現できないから相手の言動に対して思うことがふくらんでしまうわけで、表現できれば大したことではなくなる。場合が多いです。
まだうまく話せない幼児はカンシャクを起こしたり、誰かををたたいたりしてしまうことがありますよね。
大人だからカンシャクは起こさないし誰もたたかないけど、向けるべき相手や状況に、向けられないモヤモヤとか怒りが心に居座ったままだと、結局どこに向けるかというと、ほとんどは自分なのです。
自分の非を探し始める。
でももうそれも無理になったのでした。
そもそも、そんなこと得意なのは損ですよね。
すぐに存在を忘れてしまう相棒、それはもう一人のフレッシュな自分ですが、その相棒が教えてくれるようになりました。
人にどう思われてもいいよ。
自分の感じることを信じてそのまま話せばいい。
心配していることは、意外と大したことじゃないかもしれないです。
相手のあることだから決して、いい加減に、成り行きまかせに、というのではありません。相手のことを尊重した上なので、もっともっと気楽に話せばいいです。
心配していることははっきり正体が見えて、最善策を練られるかもしれないです。
相棒が気長に何度も教えてくれます。
心配していることは、一緒に誰かが考えてくれるよ。
そのためには話さないとわからないからね。
今日は実はとてもとても大切な日です。
ここに書けないのが残念ですが。
私の代わりに相棒が、この世界は信じられるよ、気軽に話したらいいよ、と伝えてくれたらいいなと思います。