生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

怒りを感じる自分側に原因はないです

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アンカーのランです。


昨日の帰りのことでした。
お店に寄り、お弁当を一つ持って並んでいました。


それと一緒にサラダを200グラム頼むつもりでしたが、前の人が大量購入でなかなか手間取っています。その間に私の後ろに一人。


前の人は精算も時間がかかります。
最近支払い方法が多岐にわたり、しかも慣れない人も多いのでしょう、とにかくさっさとは済まないです。


私は後ろの人が気になり始めました。


もう無理だな、とサラダを買うのは諦めたところで私の番、手提げ袋はあるのでお弁当だけの精算を大急ぎで。
お釣りをもらいながら、10%引きのカードを出し忘れたことに気づきました。


要するに、顔も見えない後ろの人の怒りを勝手に感じて、勝手に慌て、サラダは買えず割り引き分の損をしたのでした。


きっと後ろの人は怒ってはいません。
隣りのレジが空いて、ここいいですか、と移りながら聞かれた男性の声は穏やかでしたから。



怒りというものがこの日常には多く存在し、自分にもよく向けられていると。
どうしてそう感じてしまうのでしょう。


自分に自信がないから。
自分に安心感がないから。
疲れているから。
孤独だから。


向けられていると感じる自分側に原因があるでしょうか。



私は違う場合もあると思いますね。


だってそんなこと、怒りを向ける張本人の言い訳じゃないのかな。


実際、本当に怒っている人にも出会うのです。


怒りの存在が先です。



なので、まずはそちらを解決してほしいと思います。
関係のない誰かに向けてしまわないように。


どうして自分は怒りを持ってしまうのか。
これはこの人に怒るべきこと?


忙しいからとか、生活や仕事や人間関係がうまくいっていないからとか、体調がわるいからとか。


自分の中の怒りの本当の原因は何か。
その解消のためにはどうすれば良いか。


一人では難しければ誰かが一緒に整理してあげる仕組みなんかがあればいいなと思うのです。



怒りを向けられていると感じる自分側に原因がある。
そんなことまで思わなくていいです。