アンカーのランです。
誰かと一緒に楽しくというのが幸せだと、いつの間にか誰かが決めてくれたのかもしれません。
でも人の幸せって本当に様々だなと、しみじみ思います。
少し前までは言葉で理解していても、心の底からはそう思っていなかったのです。きっと。
本当は誰かと一緒に楽しくしたい、でもそれが叶いそうもないから自分一人の幸せを見つけようとするんじゃないかな、と勝手に。
これは違いますね。
自分にも、自分を客観視しているもう一人の自分にも、再確認しておかないといけないようです。
人はまずは生きるために、自分の身を守るために、闘いが必要なら闘いますよね。
武力ではありません。
持っているものを総動員して、です。
命が守られたとすると次は精神ということでしょうか。
身体と共に心理発達も進んで子どもの域を出ると、命と精神が同列もしくは逆転の場合もあるでしょうか。
自分の信じることに背かないでいる。
それこそが幸せ。
そうすると、自分の信じることに背いてまで誰かと一緒にはいたくないわけです。心から。
一番いいのは、信じることが同じ相手を見つけることですが。
価値観ほど穏やかなものではありません。ましてや好みとかの話では全くないです。
怒りに近いかも。それでも生きたいので精神の均衡を保てる状態を探してる。エネルギーは余っていません。
静かな闘いがずっと続いているのですね。
その同志となら一緒にいて楽しいかもしれません。
多数派でいるということは少数派について知る必要に迫られないのかもしれないですね。
そう考えるだけでも、幸せについての自分の思い込みがひっくり返った感じがします。
最近よく聞く「パラダイムシフト」はまた全然違ったことを指しているのでしょうか。
世の中の動きは結局は人の幸せを目指しているはずなので、通じることだとも思うのですが。