生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

「いきってる」人も嫌いじゃないです

f:id:kannpai:20220124201750j:plain
アンカーのランです。


昨日、アロマヘッドスパ付きカットを美容室でしてもらいました。


あまりの丁寧さに、時間を計っておけばよかった、と途中で後悔しました。


夫や長男にも勧めたので二人は最近それをしてもらいに行ったのですが、二人の意見を総合するとスパは長くても10分なのです。


でも今回30分以上は確か。


3回目だったのですが、短いようにも感じた2回目の時でも20分以上。


もう本当に今回は長すぎて、私特別しんどそうな人に見えるのかな、と一瞬思ったくらいでした。


担当して下さった美容師さんはとても大人しそうな方。
何度も髪を切ってもらったことはあります。


静かな時間が続いても、何か喋らないといけないとかの心配はしなくてもいい、楽な気持ちにさせてくれる方。


それって考えたらすごくないでしょうか。


気を配ってとか無理をしてではなくて自然な振る舞い。


もしかしたらその人は話すのがあまり得意ではないかもしれないです。


でも、「苦手です」とも伝わってこない。



不意に、次男がいつか口にしていて懐かしさを感じた時のことを思い出しました。


「いきってる」ヤツっておるやろ。


昔、小学生の頃、そんな言葉が教室で聞こえていました。


調べてみると、粋(いき)る、とも書いて、それなら「粋(いき)」の動詞化ということらしい。


「意気る」と書くなら、意気がる、ということでしょうか。


どちらでもそれほど差はないように思えます。


いかにも粋(いき)であるかのように振る舞うこと。かっこよく見えるように振る舞うこと。また、そうする人のことを「いきり」という、の説明に、ますます小学校の教室が。


何か喋らないといけないとかの心配はしなくてもいい楽な気持ちにさせてくれる美容師さんから、どうして「いきってる」を思い出したのでしょう。


美容室だから、ただきれいに気持ち良くなってもらう。
それを守っているだけです。


そんな静かな「いきってない」人はもちろんかっこよくて好きですが、まぁ年を重ねた大人で「いきってる」人は少ないでしょうけど「いきってる」人も嫌いじゃないな、とか。


無意識のところでそう思ったのかもしれません。