アンカーのランです。
子どもを思い浮かべるとなんとなくわかってくることがあります。
言うことを聞かない、なんて多いですよね。
親の言うこと。
先生の言うこともでしょう。
自我が育ってきたイヤイヤ期は別です。
思春期も別です。
その間くらいの年齢で「言うことを聞かない」は、実は「困ってるよ」かもしれないと思うのです。
子育てに必死だった頃には全然そんなふうには捉えられませんでした。
いつのことかわからない。
どのくらいかわからない。
どういう意味かわからない。
怖いのに。
心配なのに。
緊張してるのに。
もうどうしていいかわからない。
わが子もそんなことがあったんだろうな。
本当にわるいことをしたと思います。
子どもを思い浮かべるとなんとなくわかってくること、に戻ります。
では、「いじわるな気持ち」の正体は?
最初から「いじわるな気持ち」があることはないんじゃないかと。
何か気に食わなくて、あるいは仕返しで、あるいは満たされなくて、でしょうか。
自分のことを振り返り尽くした後は、何が気に入らないんだろう、何の仕返しだろう、とも考えてみました。
でも身に覚えがなくて、どうしてもわからなくて、そういうのが重なって、本当に今度こそ仕事を辞めたい、という気持ちに支配されていました。
それでなくとも、生きているだけで自分を褒めたいくらい、ギリギリのところでやっているのです。
満たされなくて、の場合は大人だったら自分でなんとかしてほしいな。
助けてあげられることなら助けてあげるので。