人の人生を他人が語るのは
アンカーのランです。
昨日、なぜ言葉のことを改めて考えていたかというと、やはり自分のことでした。
やっぱり私は自己中なのですね。
自分が勝手に傷ついたことを思い出していました。
おおまかに言うと、人の人生を他人が限られた言葉で表現する、ということについてです。
書いている人や話している人は、私がその言葉に持つものと全く同じではない印象で使っているかもしれない。
でも、それを差し引いても違和感が残ります。
直接何か書かれたり言われたりしたことはないですが、自分も対象になっているのでは、と感じる時があるのでした。
いくら後悔ばかり、うまくいかないことばかり、とか書いていても私にとっては一度きりのかけがえのない人生です。
両親は私の幸せを願い続けてくれたはずです。
今も父は空から。
一部分の解釈ならいいですが、まとめられたり評価されたりは嫌だし、決めつけないでほしいな、と。
特に、育ちについて一括りにする文章に出合うと、人の人生を他人が語るのはどうなのかと抵抗があります。
自分で自分の人生を整理したり語ったりするのとは違いますよね。
本当に一人ひとり違うでしょう。
それに、誰でも自分のことを全て話しているわけではないのです。
私も気をつけないといけないなと改めて。
人に意地悪をするような人は…
人をバカにするような人は…
こういうのはいいでしょうか。
人は人との関係性の中で生きているのだと思いますが、それにしてもちょっと私も人のことを書きすぎていたかもしれません。
自分のこともよくわからないのだから、人のことはわからないものです。
長く生きてきましたが、決めつけない。決めつけない。