生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

そんなによくできた脳じゃなくてもいいのに

アンカーのランです。

 

今日は仕事が休みで、あれこれとまた一人で考え事をしていて、身体の感覚が消えそうでした。

 

そんな時は動くに限るので少し出掛けもしましたが、それでも座るとまた考えます。

 

あと1ヶ月しか生きられないとしたら何がしたいかなぁとか、1年ならとか。

 

やっぱり人と話したいです。


でも約束をするのにストレスがかかるようだったら諦めて、すんなり会える人だけでいいかな。


楽しくて優しい時間を一緒に過ごしたい。

 

それ以外には積極的に何かする元気はないので、好きなカップでコーヒーか紅茶を飲みながら音楽が聴きたい。

 

 そんなことをぼんやり考えていた日でしたが、とても驚いたことがありました。

 

自分が若かった頃の音楽を少し聴いていると、その時には父がいたんだということに気づき、そこからもう全く聴けなくなったのです。

 

数年前から自分が若かった頃の音楽は、たぶんこれからずっと聴けないのでしょう。

 

老後の楽しみに、と思っていた大量の写真もきっともう無理なのでしょうね。

 

父と別れることになった時、生まれ変わるしかない、ととっさに強く感じたのはこういうことだったのです。

 

過去の記憶は、父と直接はつながらないことでも、時間を共有していたというだけでつながってしまうのですね。

 

そんなによくできた脳じゃなくてもいいのに。

 


というわけで、これからは今よく聴かれている音楽を聴くことにして、写真はこれから撮ればいいか、と思っています。

 

今日は100円ショップにも行きましたが、少し年配のたぶんご夫婦の会話にほのぼのしました。

 

男性が、あれ置いといたらよかったなぁ、と言われると、女性が、済んだことはいいから、これからどうするかよ、と。

 

確かに!とこっそり頷きました。