そもそも共感力って何でしょう
アンカーのランです。
共感という言葉をよく使ってきました。
誰かに共感してもらうことがどんなに大きなことか。
昨日もそう書きました。
でも例えば自分の好きな音楽を、いいな、と思ってくれなくてもいいのですね。
同じ本を読んだ感想が全然違っていてもいいのです。
大きな決断をして買ったカーテンを褒めてくれなくても。
映画にも景色にも、同じくらいの感動をしてくれなくても。
昨日のブログに貼ったアオサギの後頭部の毛、冠羽というそうですが、その可愛さをわかってくれなくてもいいのです。
お腹の痛みを十分にわかってくれなくてもまぁいいです。
全部まぁいいですが、やっぱり、悲しみや辛さや寂しさだけは深くわかってほしい。そして共感してほしい。
これが叶う人と叶わない人ではずい分違うでしょう。
人生がすっかり違ってくるくらいです。
聴いてもらうだけでも気持ちが安らぎますが、深く理解されて共感されると、私の場合ならもう傷はほぼ癒えますね。あとはまた一人で大丈夫です。
でも、そもそも共感力って何でしょう。
やる気の問題?
優しさの問題?
鍛えられるもの?
なんとなく違う気がします。
元々持っている能力の一種なのだとしたら、相手にそれが足りないからと不満を持つのはちょっと違うのでしょうね。
見えにくい能力です。
人が幸せになるためにとても必要なのに。