仕方がない、もとてもいいと思う
アンカーのランです。
楽になれる言葉をいつも探しています。
誰でもそうなのかもしれませんが。
昔は自分の中から探していたような気がします。
なかなか見つからなくて当然ですよね。
自分の中にすぐ見つかるくらいなら、とっくに楽に生きていたでしょう。
『バカの壁』の著者である養老孟司さんが『人生論』の中で書かれていました。
人生を振り返ってみると「ひとりでにそうなった」「いつの間にかそうなっていた」ことが多いように思う。
…
現代人は「仕方がない」が苦手である。
何事も思うようになるとなんとなく思っている風情である。
なんだか一瞬救われたのです。
よくよく思えば、全然違う世界で全然違う話なのでしょうけれど。
全然違うにしても最近は、仕方がない、と思うしかなくて、自分にそう言い聞かせていることもありました。
私にとって「仕方がない」は、場合によっては「努力が足りない」ことだったのですね。
考えるのをやめてしまう、ということ。
あるいは「我慢」の場合も。
なので、「仕方がない」はあんまり良い印象ではなかったです。
でも実は、仕方がない、もとてもいいと思う。
何かあると自分の非を探してしまいがちですが、振り返ると、「成り行き」ということが確かに多かった感じがする。
だから、いくら情報社会で、いくらあの手この手を調べられるとしても、仕方がない、も自分の中にしっかり確保していいと思うのです。