生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

4ヶ月ぶりの彼女とのランチが心にしみて

こんばんは。ランです。

 

以前の仕事で関わりのあった人とランチをしてきました。

 

臨時収入があったそうで、思いがけずご馳走に。

 

考えてみると4ヶ月ぶりでした。

 

この4ヶ月の濃さといったら。

 

職場では次々と色々なことが起こり、夫がコロナにかかって濃厚接触者となった私は長く休み、もう一つの仕事ではポキッと音がして、また戻って職場では限界を感じる時間が増えて…

 

他にもまだあったはずです。

 

でもやはり一番大きなことは、父のことをなおしている箱のふたが開いてばかりでもう閉められない、ということだと思います。

 

父の顔、自分のしたこと、その時期の様々なことがまさしくフラッシュバックされるのです。

 

全部わかってるから、といくら心の中で唱えても、責めるでもなく励ますでもなく、容赦なく映像が浮かんでくる。

 

だからといって何もかもを新しくしたところで、そのフラッシュバックがたちまちマイルドになる、様相を変える、なんてことはないのでしょう。

 

それに、悲しくても父の笑顔には会いたいです。

 

でもこの数ヶ月で、もう少し楽になりたい、と泣きそうなほど願う日が増えました。

 

検査が続いた最近の不安はそれはそれは大きなもので、もう本当にこのままでは今度こそ体調を取り戻せない、と突き落とされました。

 

今日、彼女の優しい表情を見て、やっぱりまだ元気でいたいな、と心から。

 

そしてさっき夫にランチの前菜の写真を見せると、もう行く気満々でカレンダーを持って来たので、やっぱりまだ元気でいなくちゃな、と。

 

この数ヶ月の濃さが、一気に何かを変えてくれるような気もしています。