生きているだけでいい。 大丈夫。

いつか人生に乾杯できる日まで。

母の用意した夕飯を子どもに

f:id:kannpai:20200807200746j:plain先週月曜日から続いていたホットプレートの夕飯が、あっけなく一昨日で終わった。


焼いたり温めたり、ほとんど手間をかけないものばかりだったけれど、美味しくて楽しかった。


それが、昨日は油断していて。


またテレワークになって私より早い時間に自由になる夫が、スーパーですぐに食べられる物を色々と買って来て、さらに料理までしてくれていた。


ホットプレート、もういいやろ、と。


夫はよく料理をしてくれる。


でも、私の勝手だけど、子どもが、父さんの料理やっぱり美味しい、と言うのがだんだん悲しくなっていた。


どんなに内心ではしんどくても、仕事に行けている、ご飯も食べている、おまけにビールまで飲んでいる、そんな母親。


子どもたちは何も言わないけれど、深く理解してもらうのはたぶん無理。


だから、本当に勝手だけど、私がきれいに洗ったホットプレートに、私がただ切っただけの物をのせる夕飯でよかった。


子どもたちも喜んでくれていた。



今日も夫はあれこれと作ってくれていたので、ホットプレートは連休中だけど、近々再開したいな。


冷蔵庫に、ホットプレートでもできるチーズホンデュ、というのがある。
この間スーパーで見つけた。


職場で聞いてきたレシピもある。


夕方、夫がキッチンに行く前にホットプレートを食卓に出そう。

そして、母の用意した夕飯、を子どもたちに食べてもらおう。


もうそんなに一緒には夕飯食べられないのだから、絶対にそうしたいと思う。

まだ人のために書けないブログ

f:id:kannpai:20200806200421j:plainまだまだ人のためには書けないブログです。

なのに読んで下さって本当にありがとうございます。


まわりに感謝しながら生きる喜びなんて書けないし、どん底からはい上がって見えた景色、というのも無理だと思う。

はい上がれそうにないから。


美味しい物や好きなことの紹介なんて遥かに遠く、生きている間にはできそうにありません。


本当は、今までの人生をすんなり整理して、しっかり前を向いて、少しは若い人たちの助けとなる、まぁまぁ大人の立場からの発信をしたかった。


遠回りしたけど、ひどい挫折も経験したけど、でも、頑張ってきたことはやっぱり報われるよ、と伝えたかった。

神さまは見てくれてるからね、と。


でも、そうならなくて、前も向かず、だから未来も見えず、とてもカッコわるいけれど、それでも生きています。


信頼できる人はいなくて、家族をずっと傷つけてきて、最愛の人はいなくなったけれど、それでも生きている。


私がそんなにわるくはなかった証拠。
両親が幸せだったと思える記憶。

今はそれを見つけるために、たぶん私は生きているんだと思う。


情けないのかもしれないけど、それが本当です。


でも人は、風に吹かれて、蝉の声を聞いて、夕日を見て、そのくらいでも少し気持ちが変わる。

それに、忘れる。


いつか、もしかしたら何かが変わって、もしかしたら誰かに何かを届けられるかもしれない。

そう願いながら書き続けたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。

No.170 全部放り出して森へ行きたい

f:id:kannpai:20200805161806j:plain子どもたちが小さい頃、神社や公園で網を持って一緒に蝉を探した。


子どもは手でそっとつかめるようになっていたけれど、蝉をカゴに入れて持って帰った記憶がない。他の虫もない。


私はどう説得したんだろう。

少ししか生きられないから、と説明しても、幼い子どもならきっと、エサあげるから、とか言って持って帰りたがったんじゃないかな。


せっかくつかまえたのに、と泣いたりしなかったのかな。


全然覚えていない。


でも、子どもの気持ちを考えて、虫にはわるいけど、とはならなかったはず。


命というものを教えるために、という考えも全くなかった。


いつだったかカウンセリングを受けた時に、動物とか小さな生きものが可哀想な目に遭ってるのがたまらなくしんどい、と話したことがあった。


すると、安心感がないからそう感じてしまう、というようなことを言われて腑に落ちた。


自分が可哀想だと感じるほど他の人が感じているように思えなくて、不思議だったから。


小さな虫が死んだり人にやっつけられたりするのを見る度にこんなに落ち込む自分は、どこかおかしいと感じていたから。


そうか。心に安心感のある人は、人間中心の生活の中で起きる人間以外の生死を、お肉を食べるのと近い感覚で受け入れてるのか。


だから、子どもの腕にとまった蚊をパチンとできるのか。


皮肉でもないし、自分が優しいと言いたい訳でもない。


一つひとつにとてもエネルギーがいる。
それで肝心なことができなかった、というのもあり得るよね。


そんな言い訳を、自分ができなかった数々のことに対して、探しているんだと思う。


言い訳とか、ふり返りとか、後悔とか、全部放り出して、どこかの森の中でのんびり蝉の声を聞きたいな。


きっと行くから、まだまだ生きて鳴いていて、と思う。

この国の夏のいつものこと

f:id:kannpai:20200804203840j:plain蝉の声を声だと思うのは日本人とポリネシア人だけだ、という記事を見つけてびっくりした。


本当なのだろうか。

じゃあ他の国の人たちは、あの大きな声を何と思うのだろう。


蝉に限らず虫の鳴き声全般について、そうらしい。


日本人は音に敏感だと書いている人もいた。


もしそうなら、日本人は音に敏感であることが必要だった進化の過程があったということかな。


それとも、必要があった訳じゃないけれど、日本には四季があるので、その変化を競うように表現するうちに、感性が豊かになったということだろうか。



さっき、家の近くの大きな木の前を通りかかると、急に蝉が大きく鳴いた。


男性が木を見上げて、あ、蝉か、というふうに一瞬気にしたようだったけれど、決してうるさそうにはしなかった。


この国の夏のいつものこと。


そこに小学1年生くらいの男の子の3人組が歩いて来て、そのうちの一人が、あれクマゼミだね、と言った。


よかった。

蝉の声、どころか、蝉の種類まで聞き分けてくれた。


YouTubeを楽しむ今時の子どもたちも、蝉の声を好きでいてくれて、よかった。

f:id:kannpai:20200803201155j:plain通勤電車は各駅に停まるので、扉が開くとだいたいは蝉の声が聞こえる。


駅だけではなく途中の所々でも。


今朝もすいている車内でぼーっと聞いていた。



いつも不安だった私はきっと、毎年8月の後半になると、蝉がもう鳴かなくなるんじゃないかと気にしていたと思う。


まだ大丈夫。たくさん鳴いてる。

よかった。まだ鳴いてる。


でも、いくら耳をすましても聞こえなくなる日は来てしまう。

昨日のが最後の1匹だったのかな。


家の中では聞こえなくなっても、外に出掛けるとまたその元気な声が聞こえてきて、ホッとした。



いなくなるもの、終わってしまうもの、そんなものを追いかけてばかり、思ってばかりの年月だったのだろうか。


いつまでも追いかけて、いつまでも後悔しているから、次にやって来ている大事なものに、またエネルギーを向けられなかったのでは。


その時々に精一杯相対したのなら、もうそれでよかったのに。


相対したのが本当の自分ではなくて、納得できなくても、もう、一つひとつ卒業して次に進むしかないのに。


今持っているエネルギーが少ないなら、なおのこと「今」に使うべきだった。



さっきまで鳴き声は聞こえていたのに、
ひとときの空白。

でもまた聞こえ始めることはわかってる。


梅雨が明けたばかりだからまだまだ大丈夫。


今を一生懸命生きるエネルギーを、近くで感じさせてもらってありがとう、としみじみ思う。

この夏は思いきり蝉時雨を浴びたい

f:id:kannpai:20200802182926j:plainまた蝉のことを考えている。


大きな鳴き声なので、1本の木にたくさんいるんだとずっと思っていた。


でも、3年位前だったか、鳴き声の止む瞬間に、みんながこんなに同時に鳴き止むのはおかしい、これもしかして1匹かも?と気付いた。

どうしてそれまでわからなかったんだろう。


1匹とか2匹であんなに大きな声なんて。
すごいな。疲れるだろうな。

1匹なら寂しいだろうな。


昔から暑い日でも家に誰もいなければエアコンをつけないで、ベランダの扉を開けていることがあった。


蝉の声が耳に心地いいから、というのもあったんだと思う。


蝉時雨ともなると、あぁ夏だな、を越えて本当に好きだった。今もとても好き。


小さい頃の夏の記憶に、蝉の声とセットになった映像はないのだけど、この懐かしさはどこから来るのだろう。

映像の方だけを忘れてしまったんだろうか。


特別いい思い出もなさそうだけど、そんなにわるい思い出もない。なんにもない。


誰が、蝉時雨、なんて素敵な表現をしたんだろう。


ただ、包まれるような感覚。

麻痺するような感覚。

やっぱり懐かしい。

暑いけれど、不思議と暑くなくなる。


この夏は思いきり蝉時雨を浴びたいな。



今夜は長男は彼女と外食らしくて、次男と3人でまたホットプレートでビビンバ。


ご飯に混ぜるだけでビビンバができるらしいのを買ってきた。


モヤシとソーセージも端っこで焼いたらいいし、昨日のお好み焼ブロッコリーもある。


大きなホットプレートにしてよかった。

みんな水分取れてるかな

f:id:kannpai:20200801235127j:plain
蝉の声が好きだなぁと思う。


ずっと昔は暑いのが苦手で、とにかく早く涼しくなって、と願いながら蝉の声を聞いていたと思う。

いつから好きになったのだろう。


子どもたちがスポーツをしていて、私もよく応援や写真撮影に行っていた。


暑いのも寒いのも、見ていて本当に可哀想だったなぁ。


チームの仲間たちの、嬉しい表情、悔しい表情、様々な場面をたくさん撮影した。


少しでも子どもたちの辛さに近づきたかった、というのもあったと思う。


どちらかというと、公式戦より練習試合や練習の時を撮る方が好きだった。

その方が、何人かはずっとベンチにいる、ということがなかったから。


運動部の子どもたちらしい挨拶をしてもらえるのも心地よかった。


その爽やかな声と一生懸命な声に、夏は蝉の鳴き声が重なっていた。
そんな日が何日も何日もあったと思う。


だから好きになったのかな。



今夜は、長男にお好み焼を買って来てもらってホットプレートで温めた。


ビールが美味しいなと思いながら、朝から全く何も飲んでいないことに気付いてびっくり。


あの頃の夏は、みんな水分が取れているかといつも気にしてたなぁ。