生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

猫のキーホルダーを友だちに

f:id:kannpai:20200821200210j:plain今日は仕事が休みで、友だちとお昼ごはんを食べた。

近所なのに、コロナ渦よりもっと前から会えていなかった。


気を遣わない人なので、前に聞いたかもしれないことも平気で聞ける。

正確じゃなさそうでも話せる。

ほとんど緊張しないで済む時間。


昔から緊張感の高い私はインプットもアウトプットも苦手。


それにほとんどの会話の場合、緊張している脳が、粗相のないように、と指令を出してくるのだから、気楽に話せるわけがない。


楽に話せる、というのは、ようやく自由な会話ができる椅子に座れるようなもの。


脳の締めつけもなく、思いつくままにどうぞ、と放ったらかしにされてこそ、記憶の引き出しが自由にあちこち開く。

そして、スルスルと感情も出てきて、それに伴う言葉もちゃんとついてくる。

話しながら、そういえばそんなふうに思ってたな、と。


自分自身が会話している実感。

ゆったり呼吸をしている感覚。


あれ?ヨガが良さそうだと思っていたけれど、友だちと話すこの感じ、ヨガに似ているのかも。
リハビリも兼ねた。


それでもなぜか父のことは話せなかった。


友だちは最近、今日でもう来てもらわなくていいです、と同僚も全員勤務先を解雇された、とのこと。


私は、絶対どこかで求められてるよ、○○さんみたいないい人、と言うのが精一杯。


そして忘れずに、この間買った手作りの猫のキーホルダーをあげるくらいしかできない。


友だちはいつも私にエネルギーをくれて楽にしてくれるのに。


別れ際もいつも通り、ありがとう、会えて嬉しかった、楽しかった、とたくさんの言葉をくれた。