生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

少し弱そうで優しそうな木の側にいたいと思った

こんばんは。ランです。

 

今日は若い同僚と話して気を紛らわせて過ごしました。

 

フランソワーズの機嫌がいいので、それだけでも助かっています。

 

 

大揺れになる条件を考えていました。

 

春だから、だけなら静かに落ちていくだけのはず。

 

大揺れになるってことは、やっぱり誰かが関わっているということ。

 

 

周りがしっかり立っている人たちなら、自分もそれほど揺れないんじゃないか、と思ったのです。

 

大風も大波も来ないはずなので。

 

ラクリが解けて来るようです。

 

誇らしげな大木はなんとなく怖くて、少し弱そうで優しそうな木の側にいたいと思った、が始まりです。

 

でも、その木は少しの風に揺れてしまい、支えになってはくれない。

 

それどころか、その弱さ優しさに、私が支えてあげなければ、と思ってしまうのですね。

 

自分が選んでいるのです。

 

自分が立てていないというのに。