生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

一番よく会えるのはカラスとハト。時々、ネコ。

 

こんばんは。ランです。

 

2ヶ月くらい前から、お昼休みに歩くようになりました。

 

今日はまた寒くなりましたが、歩き始めると一気に身体が温まり、職場に戻る頃にはマフラーも外していました。

 

明日はコートなしで歩こうかと。

 

最近、魔法使いは私に優しいので、のんびりおしゃべりしてもいいのですが、やっぱり外の方が気楽ですね。

 

それに何より運動をしたいのです。

 

一番よく会えるのはカラスとハト。時々、ネコ。

 

生き物は、可哀想なことを連想してしまうのであまり会いたくはありません。

 

何の試練なのでしょうか。

 

今の私には力もないので、動物たちのために活動している人を、クラウドファンディングで応援しています。少しずつですが。

 

 

ところで、昨日書いた記事でちょっと気になる部分がありました。

 

きれいになりたいという心理が商売の前にも軽く扱われたりはしない、という文章です。

 

きれいになりたいという心理を利用されない、付け込まれない、みたいなことが言いたかったのでした。

 

人生が変わる気がして思い切った人もいるはず。

 

私も思い切ろうかなと思い始めています。

きれいになりたいという心理

こんばんは。ランです。


以前、ホクロを取ってもらった話は書いたと思います。

 

私のそんな話どうでもいいですよね。

 

元々は皮膚がんではないかを診てもらいに行ったのですが、成り行きでそういうことに。

 

それで、思い浮かぶ皮膚科のイメージと全然違う、美容についての相談が多数を占めているんじゃないかな、とびっくりしています。

 

失礼ですが、かなり儲かっていそうです。

 

とても混んでいて、男性も多い。人気の所なのかも。

 

光治療、レーザー治療、イオン、他にも色々、保険は利きません。

 

薬や化粧品もあるみたいで、診察室にも待合にも紹介のチラシが貼られていました。

 

ニキビ跡などは消えるかもしれないけど、シミが本当に消えるのかな。

 

せっかくの機会なので、とりあえず保険診療の範囲できれいにしてもらうことにしました。

 

高い化粧品もそうですが、きれいになりたいという心理が商売の前にも軽く扱われたりはしない、と信じています。

 

手鏡を渡されて、これとこれ、これも、と気になる箇所を指差しました。

 

長年かけて私の身体の一部になったもの。

 

取って下さい、消して下さい、って、簡単に言うのもちょっと気が引けますが。

 

でもやっぱり、言うつもりです。

今のところ、映画「幸せなひとりぼっち」は上位に

こんばんは。ランです。

 

最近、映画をよく観ています。

 

この世の中にあるきれいなもの、楽しいもの、すごいもの、感動的なものを、少しでも多く体感しておこうと焦っています。

 

昨年11月にやりたいことノートも作って書き始めました。

 

年末に次男と「すずめの戸締まり」。先週末に「かがみの孤城」。

 

両方よかったのでもっと観たくなって、Amazonのプライムビデオで次々と観ました。

 

テルマエロマエ

「マスカレード・ホテル」

「マスカレード・ナイト」

「幸せなひとりぼっち」

「老後の資金がありません!」

幸せのレシピ

「キネマの神さま」

そして父になる

 

マスカレード・ホテル以外は夫も一緒でしたが、夫がガサゴソする度に、ついてこられてるのか気になって、観るならちゃんと観てよ、と怒ったリもしました。

 

ほっとけばいいのに、と自分でも思います。

 

ガソゴソしていても、よかったな、と満足そうなので。

 

今のところ「幸せなひとりぼっち」は上位にきますが、珍しく夫も感じ入ったようです。

 

ただ、翌日だったかに、「幸せの一人暮らし、やったっけ?」と言っていました。

もういい加減にしろ、は伝わるでしょうか。

こんばんは。ランです。

 

昨日書いた「怖すぎる荷物」は脱線ばかりでした。

 

要するに、こうです。

お正月にホテルで絵付けした器が、差出人名なしで発送された。

着払いで送られることを、夫が知らなかった。

その時に送り状に書いた名前が、運送会社で不在連絡票に記載される際に少し間違われた。(届いた時に送り状を見ると、次男が書いた字できれいでした)

2週間しか経っていないのに器のことを二人とも忘れていた。

 

純粋にそれだけなら、わかってスッキリした、で終わるところです。

 

でもその過程がひどかったのですね。

 

ワークショップで作った器じゃないかな、と夫が言い始めてホテルに問い合わせているのを、私は聞いていました。

 

夫は電話が大の苦手。最初から危うい感じでしたが、話が通じなくてどんどん混乱、側で私がにらみつけているのでさらに緊張が強まったのか、とんでもないことを言いました。

 

差出人の名前を書かずに送ることもありますか?

 

もう驚きでしたが、その前にもびっくり発言があったのです。

 

ホテルへの問い合わせの前です。

 

宛名は名字は合ってるけど名前が違う。でも形が似ている漢字でした。

 

箱の中に何が入ってるのかな、高額なものを買わされるとか? この漢字を間違えるということは日本人じゃない?なぜ私たちがねらわれた?と怖さが募る私に夫が言ったこと。

 

ボク、そんな外国の人、知り合いにおれへんけどなぁ。

 

私の、もういい加減にしろ、は伝わるでしょうか。

 

会社での評価は高く、他の色々なコミュニティも含め人間関係は良好そうな夫。

 

ここでも、書けば書くほど、私が一人で怒っているように映る気がします。

 

とりあえず、もっと文章力を磨かないと。

受け取り拒否にする前に

こんばんは。ランです。

 

怖すぎる荷物、の続きです。

 

夫は受け取り拒否する旨を宅配業者さんに電話でお願いしたとのこと。

 

でも、差出人の記入のない荷物を受け取り拒否にすると、荷物はどうなるのでしょう。

 

そしてその後、心当たりがある、思い出した、と夫が言って、私も事態のおおよそに想像がついたのです。

 

この荷物で怖かったのは、名字は合っているけど名前が違っていた、ということにもありました。

 

そんなに多くはない名字なのでうち宛だと確信。

 

じゃあ、うちの誰かに何か恨みのある人から?私が誰かに恨まれてる?

 

 

ところで、夫は字がとても字が汚いです。利き手じゃない方の手が怪我をして、その手で適当に書いている感じ。

 

きれいに書けなくてもいいのですが、丁寧に書こうとしない開き直ったところが嫌です。

 

 

実は、お正月に近場で次男と三人でホテルに一泊し、夕食の後にロビーでやっていたワークショップに参加しました。

 

夫と次男が器の絵付けをしていて私も途中参加、焼いた後送ってくれることになっていました。

 

発送についての説明は私が参入する前にあったのだろうし、送り状に人が読めないほど汚い字を書いたのは夫のはず。

 

受け取り拒否にする前に思い出せよ。

 

そう思いながら、私にもその器のことを思い出すことはできたのに、とやはり情けない気持ちが。

 

どうやったって私は、自分にも責任はある、と感じる運命にあるのでしょう。

 

まだ続きがあります。

怖すぎる荷物

こんばんは。ランです。

 

今日は春のような空気でしたが、振り返れば8年前には長男がセンター試験、インフルエンザにかからないかと心配で私の方が倒れそうだったのでした。

 

ドラッグストアで長男の栄養剤を選んでいた場面を、ついこの間のように思い出せます。

 

あれ結局飲んでくれたのかな…。

 

 

ところで今日はちょっと、もういい加減にしろ、がありました。

 

夫に対してです。

 

誰かに伝わろうが知ったこっちゃない。

 

家事をかなりやってもらっていることの罪悪感で、今まで色々控えめに書いてきましたが。

 

 

実は昨日、不在連絡票がポストに入っていました。

 

なんと差出人の記入のない着払いの荷物らしい。

 

怖すぎますよね。

 

本当に怖すぎました。見た途端に息苦しくなったくらい。

 

それで、夫に対してです。

 

まず腹が立ったのは、帰宅した夫にそのことを話したら、軽く適当なことを言ったあと、私の方を不安そうな顔で見たこと。

 

は?私はあなたのお母さん?

 

問い合わせてみるから大丈夫、大したことないよ、って私が言うの?

 

は?でした。その続きが今日あって、それが、もういい加減にしろ、です。

懐かしさと悲しさが同じ引き出しに入っているなんて

こんばんは。ランです。

 

昨日の仕事帰りに、以前お世話になった先生に偶然お会いしました。

 

ずっと音楽をやっていらした方で、私がコーラスのグループに入っていた時の先生の一人です。

 

3年も会っていないとちょっと自信もなくて迷ったのですが、やはり声を掛けてみました。

 

記憶のままの優しい笑顔と言葉が返ってきて、たちまち目元が熱くなりました。

 

すっかりご無沙汰をしてしまった理由を話すうちに、思わず父のことが口に出て、自分でもびっくりしました。

 

 

そんなふうに思わなくていいんですよ。

 

父のことで自分を責める一言を、大事に受け止めてもらえたことに、胸がじーんとして。

 

たった一言です。私も、先生も。

 

たくさんの言葉でなんとか伝わる時もあれば、こんなふうにたった一言で心に響く時もあるのですね。

 

でもきっと、この瞬間が成立したのは、長い年月の間に生まれていた尊敬とか信頼とかの気持ちがあったからです。

 

またお会いできたら幸せだな、と思いながら、でももう無理かもしれない、と感じていました。

 

以前よくお会いしていた頃、それは父が生きていて比較的会いに行けていた頃と重なるからです。

 

懐かしさと悲しさが同じ引き出しに入っているなんて。

 

もうしばらく閉めておこうと思いますが、どうか先生、お元気でいて下さい、私も元気でいますので、と。

 

もちろんそんなことは言えませんでしたが、ぼんやりとそう思っていました。