生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

意外と逃亡癖がありました

f:id:kannpai:20201016175131j:plainアンカーのランです。


ずっと一緒にいて仲良しだった、というわけではなくて、思うようには一緒にいられなかった父です。

事情がありました。


こんなに父の顔が浮かび声が聞こえると、どこからが現実でどこからが願望なのかわからなくなってきます。

春からずっとそうなのかもしれません。


本当にわからなくなればよかった。
詳しく知らなければよかった。
そしたらもっと楽だったのに。


真実ってそんなに大事なの?


ここで話が広がっていきます。
(逃亡癖なのかも。苦しい時の)


父のことから離れていきます。


だって、真実よりも「幸せ」の方が大事だと思えて仕方ないのです。


一番みんなが幸せになるあたりで、よし、これを真実にしよう、じゃだめ?


話はもっと広がっていきます。
(逃げていると悲しみも薄らぎます)


そもそも真実って本当にあるの?


ここで気付きました。
これ、前にも考えたことがある。


繰ってみると、164日前の記事にニーチェの言葉を書いていました。


その日のアクセスはたぶんゼロ。
読んで下さる方が増えて本当に有り難いです。


『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』(ニーチェ


ここで話はさらに広がります。
(まるで時間稼ぎです)


真実と事実の違いって何?


調べると、事実は実際に起きた事柄、真実はその事柄に対して人の解釈が入る、ということでした。 


このニーチェの言葉が正しく訳されたものなら、事実でも真実でも解釈を変えられることになります。


嬉しいような、訳がわからなくなったような。


でも私は、ニーチェさんが、幸せというものを見据えて発言してくれた、と解釈しています。


逃げるのもあり。
解釈を変えるのもあり、です。