アンカーのランです。
ずっと一緒にいて仲良しだった、というわけではなくて、思うようには一緒にいられなかった父です。
事情がありました。
こんなに父の顔が浮かび声が聞こえると、どこからが現実でどこからが願望なのかわからなくなってきます。
春からずっとそうなのかもしれません。
本当にわからなくなればよかった。
詳しく知らなければよかった。
そしたらもっと楽だったのに。
真実ってそんなに大事なの?
ここで話が広がっていきます。
(逃亡癖なのかも。苦しい時の)
父のことから離れていきます。
だって、真実よりも「幸せ」の方が大事だと思えて仕方ないのです。
一番みんなが幸せになるあたりで、よし、これを真実にしよう、じゃだめ?
話はもっと広がっていきます。
(逃げていると悲しみも薄らぎます)
そもそも真実って本当にあるの?
ここで気付きました。
これ、前にも考えたことがある。
繰ってみると、164日前の記事にニーチェの言葉を書いていました。
その日のアクセスはたぶんゼロ。
読んで下さる方が増えて本当に有り難いです。
『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』(ニーチェ)
ここで話はさらに広がります。
(まるで時間稼ぎです)
真実と事実の違いって何?
調べると、事実は実際に起きた事柄、真実はその事柄に対して人の解釈が入る、ということでした。
このニーチェの言葉が正しく訳されたものなら、事実でも真実でも解釈を変えられることになります。
嬉しいような、訳がわからなくなったような。
でも私は、ニーチェさんが、幸せというものを見据えて発言してくれた、と解釈しています。
逃げるのもあり。
解釈を変えるのもあり、です。