アンカーのランです。
昨日の続きです。
それは悲しかったね、と言ってくれない人とは。
その悲しさを本当に想像できない人。
泣いてはだめ、強く生きなさい、と自分自身が言われて育った人。
混乱の中にいる人。
そんな人たちでしょうか。
でも、それらの人は、言動に重なる部分はあるけれど、根本的に違う人だと思うのです。
「想像できない」というのは、「わざと」じゃないのです。
だから永遠に変わらない。
自分に厳しい人と混乱や不安の中にいる人は、悲しさは想像できるので、いつかは変わるかもしれません。
子育ての始まりの頃、少し年上の素敵な子育て仲間がいました。
子どもの全てを受け止め、いつも明るく元気な人でした。
その人が人付き合いについて話していたのです。言葉ははっきり覚えていませんが。
色んな人がいて腹の立つこともあるけど、わざとじゃなかったらいいことにしようと思ってる、と。
そうですよね。確かに。
でも他人ならいいですが、自分の人生全体にとても影響のある人の「わざとじゃない」なら?
信じられないほどです。きっと。
信じられる程度まで無意識に補正しているかもしれません。
もしかしたら人生全体すぎて、気づかないかも。
そしていつか、わざとじゃなかったんだ、と気づいて、自分の感情を呼び出して確認していきます。
よかった、感情は生きてた、生きてた。
そしていつしか、切なくなるのだと思います。
わざとじゃなかった人と、その人を責めていない自分が。
切ない、という言葉には、愛おしさがほんの少し合わさっているようです。
人の心は、どこまで深く、どこまで優しくなれるのでしょうか。