生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

あの時の自分に今話すことができるなら

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アンカーのランです。


心の中で会話して元気をもらって一緒に生きていくということがきっと人にはできる、
と少し前に書きました。


私にとってその相手はやはり父だと思います。
でもまだできなくて、話しかけてもいつも「ごめんね」ですぐに終わってしまう。


家族との関係はいいのに、もう誰もいない、と思ってしまうのはなぜかわかりません。


私の方からの後悔は大きいですが、家族は優しく関係を続けてくれている。私の多くの間違いをなかったことにしようとしてくれているみたいに、みんな力強い。


私のせいで苦しんでいる、と思わなくていいし、それどころかずっと助けられてきて、今も私は日々を重ねられているのです。
それなのに。


なぜだかわからないので、わかるまでは自分という一番の相棒のことを想うようにしたいです。


不安でいっぱいだった自分、泣いていた自分、混乱していた自分、絶望した自分。
それでもずっと頑張ってきた自分、今も生きている自分。
もちろん、幸せな自分もいます。



今朝、幼稚園を抜け出して先生に叱られた時のことを思い出していました。


そこはたぶん保育室でしょう。
入口の扉には長方形の透明のガラスが入っていて、その向こうに母の顔が見えます。


ちょうど顔だけが見えるくらいの大きさのガラスです。
母は呼び出されたのでしょうか。


怒っているというより、悲しそうでした。


もう一人の子に誘われたと思うのですが、どこに行こうと言われたのか、実際は行けたのか、全然憶えていません。


お母さんを悲しませた。
私は良い子じゃなくなった。


その子がわるものになったことを、子どもながらに感じていました。
それ以上の感情が思い出せません。


でも、すっきりはしなかったのです。
それはもっと後のことでしょうか。
私だけ良い子に戻れてほっとしたの?


あの時の自分に今話すことができるなら、なんて言うでしょうか。


考えたら涙があふれてきました。
ずっと泣けていなかったのに。