生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

あの頃の自分に会えた気がしました

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アンカーのランです。


先週末のことです。
思いがけなく30年も前の自分が蘇り、あまりに急でどうしようかと思いました。
自力で蘇らせるのは難しかったと思います。


あの頃の自分に会えた気がしました。



新卒で入った会社で休暇が取得できるようになった頃、イタリアのフィレンツェに行ったことがあります。


そこで買ったのかどうかは忘れたのですが、その旅行でフィレンツェ製のティーカップを買いました。


一目惚れです。
こんなにきれいな食器があるのかと。


それ以上気に入ったカップにはまだ出会えていません。


義妹にもあげたのですが、それはいつかの地震で割れたそうです。


カップくらいいいです。みんな無事だったので。


私が嬉しそうに見せたからでしょう。
その数年後かに母が、同じシリーズのティーポットとマグカップをプレゼントしてくれました。


母がどこで買ったのか、今考えるととても不思議ですが。



先日ある勘違いから購入したガラス戸のキャビネットに、まずは夫の備前焼、そしてそのティーポットやティーカップ、その他少しを並べました。


ずっと食器棚の端のあまり使わないグループに入っていて、ご無沙汰続きになっていた大好きな食器たち。


突然晴れやかな舞台に上げられたようです。


でも全然大丈夫。堂々としていました。


可動式のガラス棚は3枚。
一番下を備前焼コーナーにしてもあと3段あります。


それで、もう少し欲しくなったのです。
ここからが30年前の自分が蘇った話です。



あの頃、特別好きなことも好きな物もなかった私は、いつも何かを探しているようでした。


今思えば、その何かは自分を惹きつけるものというよりは、空虚感を埋めるものだった気がします。


でも若かった私は、自分が本当は何を探しているのかよくわからなかったのですね。


一時でもよかったです。
このカップを見た時に満たされたのは間違いないので。


ありがとう。


その頃の続きを、今の私が引き受けるのもいいなと思います。
(前編おわり)