生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

生きてる者が大事だから

ずいぶん昔、高校時代の友だちに赤ちゃんが生まれてお祝いに行った時だと思う。


他のことは忘れたけれど、ソファにあった綺麗なピンク色のサテンのクッションと、友だちのある話が印象に残った。


それはお墓参りのこと。

ご主人の実家が法事を丁寧にする家で、お姑さんにお彼岸のお墓参りを促された際に、友だちは断って考えを話したと言う。


生きてる者が大事だから、と。


たぶんまだ20代だった。

私なら内心嫌だと思っても断るなんて出来なかったと思う。


その言葉を、その後の人生で何度も思い出した。


いつか冬の日に、その友だちと待ち合わせをしたこともあった。

会うなり、手袋をしていなかった私の両手を手袋をはめた両手で包んで、寒いね、と優しい声で言ってくれた。



ゆっくり過ごしていると、思いもよらない場面に突然つながったりする。


私にも、好きな光景や好きな笑顔、好きな言葉や声があったなー、と嬉しくなる。


今会えたら、なんて言ってくれるのかな。

一人一人を理解したい

本当は人を分けたりはできないけれど、自分が傷つかないように分類したりするのかなと思う。

全然わからないと怖いから。

いくつかにまとめるとわかりやすくて安心だから。

何かあっても自分のせいじゃないと思えるから。

自分は違うと思えるから。



でも人は、関係の中での人。

分脈の中での人。



これからも、しんどくても悲しくても、一人一人をできる限り理解したい、と思う。


まずは自分のことをよく理解してあげたいなとも思う。


そうしているうちに、大事にしたいものがまた現れるかもしれない。

今は感謝できないけれど

みんな偉いなと思う。

家族にも、周りの人にも、出来事にも、自然にも、感謝している。

私は今はできないので、そのことでもっと沈んだりする。



私も感謝の気持ちでいっぱいになったことは何度もあった。


だから今を生きられている。


その時には、心が暖かくなり、心が柔らかくなり、たちまち生きられる力をもらえたのは確か。

今あまり思い出せないのが残念だけど。


相手に出来事に自然に出逢いに感謝するのは、味方されている感じがするから、じゃないかな。

味方してもらえる価値のある自分なんだ、自分は認めてもらえてるんだ、と自信になるからじゃないかな。


雲一つかかっていない雄大な富士山が新幹線から見えた時、応援されているような気がした。


隣の席に座った着物姿の上品な女性に、一緒にきれいな富士山を見た後、今日は良いことがありますよ、と言われたこともある。

まさか私と同じ気持ち?

その女性は、海外の人を招く時によく着物を着るんです、と。

東京駅に着くとホームに息子さんらしき立派な青年が待っていた。


素敵な人だったなぁ。

別れてから、あなたと出逢えたからもう良いことがありました、と心の中で思ったんだった。

役目を果たすだけやわ

やっと髪を切りに行けた。

この2週間は通勤だけで精一杯だったので。

でも、外出自粛で他の人も出歩かないのであまり元気な話題もなく、なんとなく重苦しい空気で助かった。

体温と同じお風呂に浸かっている感じ。


仕事とは違って、少しは気の利いた一言も考えないといけない美容室は、ちょっと行きにくい。

でも、髪なんてどうでもいいんです的な姿勢は良くない良くない、明るい職場作りに協力しなければ。


春先に買ってそのままだった白い服を着て、よし、と行ってみるととても混んでいた。

大衆的な広いお店でスタッフも多く、スタッフ同士の弾んだ声かけがいつも気持ちいい。

今日もなかなか良かった。


髪多いですねぇと言われて、そうですか?栄養状態わるいのに、と冗談ぽく返していると、ミラーに、後ろに並んて座っている高齢の方二人が大きく映った。


二人とも頭に黒いタオル、その頂点に大きくて派手なクリップ、下は白いクロス。

二人とも真正面の私の方向を見ていて、その目はぱっちり、笑ってもいなくて、ブスッともしていなくて、疲れているふうでもない、平然としたお顔。

でもたぶん私のことは認識されていない。


マッチ棒みたい、と失礼ながら思ってしまった。

私には役目があるねん。
それを果たすだけやわ。

もしもお話できたら、そんな力強い言葉を聞けるような気がした。

やっぱり外に出よう。

大人は子どもを守れ

大人は子ども守らないといけない。

そのために、本当の大人になっていないと。


私は昔からあまりテレビを観なくて、それほどネットにも親しくないので、今日の悲しいニュースも子どもから聞いた。


ほぼ同じ歳の女の子の自死

成人とはいえまだ22歳。
悲しくて胸がつまる。

出演番組での言動についてネットで攻撃されていたという。


よく知らずに書いてはいけないのだろうけれど、それが原因だとしたら本当に残念で悔しい。

番組を作っていたのが大人なのは確か。
どうして守れなかったの?


若い人同士の真剣な関係を、心を、無責任なトークも添えて売ろうと?

その番組が何年も続いていたと知って驚いた。


辛い思いをさせて、命まで諦めさせて、本当にごめんなさい。

大人の一人として、本当にごめんなさい。

独りの弱さも強さも

昨年5月の旅行のことを思い出した。


撮影スポットということで行列になっている所に並んでいた。


順番が次になった時。

前の男性は一人らしく、スマホを自分に向けている。

後が絶景。

必然的に待っている人たちの注目を前から浴びることになる。


ちゃんと撮れたかどうか確認し辛かったのか、せっかくだからなのか、何枚も撮っているようだった。


私なら諦めるだろうな。
すごいな。


でも後ですぐに思った。

撮りましょうか、と言ってみたらよかった。


こんなおばさんなら気を使わなかったんじゃないかな。

私は家族と一緒で心強そうに見えたと思うけれど、本当は独り。

独りの弱さも強さもまぁまぁ知っている。


もうヤケクソで積極的に生きられないのかな、と思う。

子育ての結果をいつまで

子どもを安心させる優しい母親になれなかったことの結果を、私はいつまで受け取らなければならないのだろう。


長男も社会人になり子育ての影響も薄まっていくのでは、と願っていたけれど。

大人になるにつれてますます些細な事で不機嫌になったり、理詰めで私をやっつけるようになったのはなぜなんだろう。


些細な事じゃないということ?

自分の母親が賢くないのがよっぽど悔しい?

話せないけど何かに困ってる?

まさか遅い反抗期?

私のことが嫌いで仕方ないから?


学生時代に一度家を出たのを、あと少し関係を修復させてからと私が望んで戻って来てもらったことで、余計に嫌われた気がする。


あーもう本当に疲れた。

父のことでもズタズタなのに。

長男を優しい関わりで育てられず守れなかったことは、何年も何年も後悔して悩んで、私なりに精一杯立て直してきたつもりだから、もういい加減許されてもいいんじゃないの?と思う。


今の長男はもう私のせいじゃない。
もう、そう思いたい。