生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

ワン吉くんがご飯を一気食べ

 

こんばんは。ランです。

 

18時半頃に帰ると、朝、夫がワン吉くんにあげたご飯がそのままでした。

 

昨年、白内障の手術を受けたのですが、片方が良くないのです。

 

頭痛がしている可能性があるのだと。

 

そんな可哀想なことってありません。

 

頭痛薬もないのに。

 

数種類の目薬をずっと差しています。

 

それさえ、ワン吉くんにとってはストレスのはず。

 

手術も目薬も頑張ってきたのに、両目が見えなくなったよりはいい、と考えることはできないです。

 

お皿に残ったご飯を見て心配していたら、急にワン吉くんがご飯を一気食べしました。

動くと虫を踏むかもしれないから

こんばんは。ランです。

 

先日の朝、職場の棚を拭いていると、とても小さな蜘蛛がやって来ました。

 

蜘蛛の赤ちゃん?

 

思わず、近くにいた上司に、この季節は特に虫の赤ちゃんがいるから困るんですよね…みたいな話を。

 

すると、全然期待していなかった心に染みる答えが返ってきたのです。

 

 

梅雨時は僧侶は外に出ないとか。

 

(え?)

 

動くと虫を踏むかもしれないから。臨済宗だったかなぁ。

 

 

鳥肌が立ちそうなくらい、救われた気持ちになりました。

 

そんな返しをしてもらった経験がありません。

 

たいてい、わぁ、夏は虫が多いから嫌だぁ、とか。

 

 

そんなふうに考えてくれていた人が、やっぱり世の中にいたんだ…

 

 

調べてみました。

 

以下、臨済宗 円覚寺派大本山 円覚寺さんのウェブサイトより引用させて頂きました。

 

「安居」という言葉があります。

僧が一定期間遊行に出ないで、一カ所で修行すること。

普通、陰暦4月16日に始まり7月15日に終わる。

 

「仏教教団で、修行者たちが一定期間一カ所に集団生活し、外出を避けて修行に専念すること、またその期間をいう。雨季の定住。<雨安居(うあんご)>ともよばれる。」

という解説があります。

語源については、やはり「サンスクリット語ヴァルサは雨、雨季、歳を意味する言葉で、インドでは春から夏にかけて約3カ月続く雨季の間は、外出が不便であり、またこの期間外出すると草木の若芽を踏んだり、昆虫類を殺傷することが多いので、この制度が始まったとされている。」

と書かれています。

ここにも安居の大きな意味があります。

虫などを踏み殺さないようにという気持ちで、外にでないで一カ所に集まって修行したのでした。

草木の若芽を踏んだりしないようにということもあるのであります。

この安居の修行も、その根柢には、生き物を憐れみ、傷つけたり、殺めたりしないようにという慈悲の心があるのです。

 

こういうのは、宗教の外に広まればよかったのに。

 

大人はもうだめ。一度くらいは子どもの耳に直接入るように仕組まれていればよかったのに、と思いました。

観るのが数十年遅れました

こんばんは。ランです。

 

今年になってドラマをよく観ますが、こういうのを観てこなかったのは、かなり大きなことだと知りました。

 

小説もそうかもしれないけど、その真髄は少し違う。

 

小説のように「生き方」を知るというよりも、普通の人ならどうするかがわかるのですね。

 

言葉はわるいですが、効率的に。

 

 

こう思って生きている人が多いのか。

 

そんなふうに感じていいのか。

 

そんなこと言っていいのか。

 

そんなに自分本位でいいのか。

 

だから、追い込まれて大変なことになる、ということも少ないのか。

 

 

観るのが数十年遅れました。

長男への言葉だから

こんばんは。ランです。

 

さっき急にお嫁さんが来てくれてびっくりしました。

 

可愛いタオルやハンドクリーム。母の日なんて全く他人事だったのに。

 

すでに入籍している長男とお嫁さんが、もうすぐ結婚式と披露宴をしますが、離ればなれで仕事も忙しい二人は、準備に焦っているようです。

 

何でも言ってくれたら下働きするから。

 

言ってくれないだろうな、とは思いながらもそんな話しかできませんでした。

 

何があっても大したことないから。

 

自分たちのことを一番に考えたらいいから。

 

後から帰って来た夫も同じように話していました。

 

私たちが順調に人生を歩んで来ていたなら、周りの人に感謝して、周りの人に気遣いをして、と伝えたのかもしれません。

 

でも、全然違うし。

 

まず自分たちのことを、と言っても、きっと二人はそうはできないと思うので、それを強調するくらいでちょうどいいのです。

 

思い返すと、ごめんね、とか、申し訳ない、とかを何度も私は言っていたので、お嫁さんは後で変な気分になったかも。

 

長男への言葉だから、もう家族になったお嫁さん相手でもいいや。

 

そういえば、世の中の人に向かって言いたいことを、気軽につぶやいていることがあります。

 

これはマスクをしているからかもしれないですね。

 

でも、歳を取るってなかなかいいもんだな、と、ふと思えたりもするのです。

新たな関係を結ぶのもあり

こんばんは。ランです。

この間、母が来て買い物に出た時のことです。

 

母が洗面所のドライフラワーを見て、欲しそうにしたのがきっかけでした。

 

お父さんが熱帯魚の水槽置いてたとこに、あんなドライフラワー飾りたいわぁ。

 

お父さんの話はせんといて、と言いたかったですが、それは言わず、急に叶えてあげたくなりました。

 

お安い御用です。花瓶とドライフラワーなら。

 

というわけで、雑貨店を目指して出掛け、帰りはついでにリュックを買いに寄り…となったのでした。

 

母用にいくつかの花瓶とドライフラワー

 

見ているうちに、私はこんなお花が好きだった、と気づきました。

 

母とは新たな関係を結ぶのもありです。

静かに離れてくれたらいいのに

こんばんは。ランです。

 

数日前から、ざわざわしていました。

 

でも、もうどんなことも残りの人生の邪魔はさせない、という決意があるので持ち直しました。

 

最後まで心を乱されるのは、やっぱり親戚ですね。

 

全くの他人なら最終手段として付き合わないこともできますが、親戚だとそうもいかない。

 

表面上だけでもいい感じに、と努力し続けてきても、思いもよらないことが起きてきます。

 

敵意まではないでしょうけど、何か面白くないのでしょうね。

 

ケンカになるとすごくストレスになるし、何よりわが子に嫌な思いをさせるのを避けたいのです。それだけ。

 

こどもたちの年齢ではまだまだわからないだろうな。

 

何かトラブルになれば、仲良くないんだな、と思うだけに決まっています。

 

こちらの我慢でうまくいくならそうしていますが、どうすることもできないことを言ってくる。

 

頭がいい人だという印象を昔は持っていたけど、年月とともに何がどう変わったのか。

 

仲良くしたくなければ静かに離れてくれたらいいのに、と。

 

悲しいですが、それだけを願っています。

お菓子を食べたり料理をしたり、が先なのか

こんばんは。ランです。

 

この頃、なぜか料理ができています。

 

大したものではないですが。

 

私がこのままクタバッたら、家族にとって私は、いつも元気がなかった人か怖い顔をしていた人。

 

外だったら、真面目すぎた人、わるければ、よくわからんかった人、で終わってしまうでしょう。

 

そうじゃない、本来の自分はこんな姿だから、と表現するためには、やはり生きているしかないです。

 

本来の自分が見えてきた、ということですかね。

 

これ、意外と大きなことです。

 

最近、とにかくお菓子をよく食べています。

 

以前はそれほど欲しくなかったのですが。

 

お菓子を食べたり料理をしたり、が先なのか、本来の自分がよく見えてきたから食欲も出て来たのか。