生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

母の妹

今年の1月に、約20年ぶりで叔母( 母の妹)に会った。


会いたいと思いながら、いつか、いつか、と行動に移せない相手は何人かいるけれど、その日はすんなり登録されていた番号にかけた。

出ないので日をおいてまたかけると、重病なのかなと思ったほど低いしんどそうな声が返ってきた。


私だとわかると声は少し高くなり、昔からのとてもお喋りな叔母は健在で、どんどん調子を上げて元気な声になった。

特に病気というわけではないようだった。


泊まりに来てもらえるように家を片付けるから、と言われて待っていたけれどなかなかだったので、4ヶ月経った頃に、叔母の家から近いホテルを予約した。

もったいない、と言う叔母を、ほら、こんなに安いから、と説得して。


70才代で、1年前まで働いていたとのこと。

シングルで育て上げた子ども二人はもう自立しているので、叔母は今は何が大変なのだろうか。


ちょっと高いお店の夕食代くらいで、1泊2食付きだった。

しかも結構豪華できれいに盛り付けられたお料理。

朝食も盛りだくさんだった。

部屋は小さかったけれど新館らしくて快適だった。


叔母はとても喜んでくれた。

何十年もこのホテルの前を車で通勤していた、こんな所に泊まれるなんてほんとに幸せだ、と。


夜中に声がするので目が覚めると、叔母が夕食の献立の紙を見て、一つひとつ小さな声で読み上げていた。

そして部屋を見渡して、独り言で、

まぁ、きれいななぁ… と。


昔、社員旅行で新潟に連れて行ってもらった。それっきり旅行や一回もしとらんけん。

ほんま夢みたいやわ。Mちゃん、ありがとねぇ。


私が小学生だった頃には何度も会う機会があって可愛がってもらったし、結婚式では、誰よりも大きな声で「あっら、Mちゃん、きれいななぁ!」ととても喜んでくれた。

叔母がいると、とても賑やかで明るい場になった。


でも考えてみると一度も恩返しらしいことはしていない。


私ができていなかったことはこんな所にもあったんだな、とまた一つ後悔が増えた。


まだ元気そうなので、父母と叔母を連れて旅行しようと決め、2月か3月にカニを食べに行こう、と話していた。


叔母はやはり躊躇していたけれど、その気になってくれて嬉しそうだった。



でも、コロナと、父がいなくなったことで、実現させる気力がなくなってしまった。