歩いている人を見て思う。
いいな、この人は大事な人を死なせたりしてないんだろうな。
いいな、この人は自分の子どもに嫌われたりしてないんだろうな。
いいな、家に帰るときれいに片付いていて、今日も頑張ったね、と自分に言ってあげるんだろうな。
いいな、この人は何でもすぐに相談できる人がいるんだろうな。
だから失敗も少ないんだろうな。
でも、本当は私の想像とは全然違うのかもしれない。
悲しみが数値化できて、余裕のある人がドン底にいる人に、何かちょっと助けてあげることができたらいいのに。
私は人に話すことはできないけれど、こうやって書くことはできている。
でも、悲しみの中で全く何もできない人もいるはず。
例えばマスクを配ったり体温計を配ったりしている企業の賢い人たちは、作れないのかな。脳科学者とかと一緒に。
どれだけ身体が表現しているか、どれだけ本人が訴えているか、に関わらず、人の痛み、苦しみ、悲しみを測るもの。
他に抱えているもの、支えがあるかないか、とかを色々総合評価して、その人がどれだけダメージを受けているか。
「慣れ」で減算はしないでほしい。
もしここまでができたとしても、その数値をどうやって共有して助け合うのか。
バカなことを考えて、日を稼いでいる。
ここまで書いて思った。
私はもしかしたら、ものすごいダメージだとの結果をもらって、それを乗り越えて誰かに褒めてもらいたいのか。
褒められたい、から始まった人生なんだから、最後までそれで通すのもありなのかな、とふと思った。