生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

ねたましい気持ちを信じよう

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時間は確実に経ってくれる。
なんて力強い味方だろう。


この3ヶ月、どうでもいい、と呪文を唱えるように過ごしてきた。


私はもうなくすものなんかないのだから。
だからあなたのことなんてどうでもいいに決まってる。

何人もの人に心の中で。


そうしているうちに、足元がしっかりする日が増えて、人をねたむ気持ちまで復活してきた気がする。


生き生きと自分の道を進んでいるような人がねたましい。

勉強とか芸術とか何かに秀でている人がねたましい。



嫉妬は「自分にも届きそうだったのに」と思っている証拠。


本当なら私もその位置に立てたんじゃないか。いや、きっと立てたはず。


もしも子ども時代から「私は」があって、自由に心を動かせていたら。


もしも子ども時代から楽に人との関係を取れていたら。


もしも子ども時代からこの頑張りは無駄なものだとわかっていたら。


もしも、は考えるなとよく言われる。


でも、生まれた日からのことだから。
全く自分では選べなかったんだから。

それに気づけないのも仕方ないんだから。


もしも、をたくさん考える権利がある。


たくさん考えたら、考えても仕方ないということがまたわかって、そのうち前に進めるだろう。


そして、本当なら立てていたと思う位置を目指せばいい。


もしも子ども時代に戻れたら…


嫉妬は「自分にも届きそうだ」という証拠。


もう届かないだろうけれど、目指さないよりはいいと思う。