別の道を一人で歩くのもわるくない
悲嘆のプロセスは、
否認(そんなの嘘)
→怒り(どうして!?)
→取引(〜するから助けて)
→抑うつ
→受容
私は真面目で優等生だから、順番通りにさっさと進んでいて、あとは年月が薄めてくれる。
そう思っていた。
でも実は全然違って、全てを封じ込めてきただけ。まだ泣くことすらできていない。
これまでの人生で一番悲しい出来事だったというのに。
多くの人が進む回復の道とは別の道を、また一人で歩いているんだなと思う。
元々そんな生き方なんだから、今さら多くの人が通る道に合流しなくてもいいけど…。
我慢することはかなり得意だから、この切り札を使って、今回も抑え込んだままなんとかならないかな。
長く生きてるっていいな。
持ち札は何枚かあるし、場合によっては別人格で対処することだってできる。
今日は父の納骨で、また現実を見ないといけなかった。
数日ぶりの暑さ。
空はとても青く、あちこちにモクモクとまだ夏の雲みたいなのが浮かんでいる。
寒がりやったよね。
3ヶ月ぶりに会った姪っ子たちはやっぱりとてもいい子たちで、子どもたちと仲良く話をしていた。
若い人たちの笑顔を見ると、なんだか救われる。
そして、ちょっと父にわるい気もしたけれど、帰りに家族で食べたラーメンの美味しかったこと。
子どもたちは替え玉まで頼んでいた。
今日は心の中で何度も父に謝った。