生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

人の気配がなくても幸せを感じられたらいいのに

f:id:kannpai:20210715192716j:plainアンカーのランです。


今朝もまた、マンションの玄関でセミが上を向いていました。


触ると、こら、まだ生きてるよ、と羽根をバタつかせます。


でもここにいたら、次のバタバタで道路に出てしまうかもしれないし、スマホを見ながら出て来る誰かに踏まれるかも。


そう思ってまたお節介に植え込みの中に。


ちょっと怒っているみたいでした。


申し訳ない。
きっと自分のためもあります。


昨日のタクシーの運転手さんにまた見られていました。


同じ人が毎朝同じ時間の契約をしているのでしょう。


私でも見るかもしれないな。
人は人に興味を持ちやすいので。


特に人の動きに。


道に立っていたとして一番興味を持つのは、動きのある人に対してかなと思います。行動とか仕草とか。


次は、じっとしていてもやっぱり人かな。
そして人以外の動物、植物、物、と続く気がします。


物でも、以前から興味があったとか、動きが大きいとか、珍しいとか色々で、興味の大きさは変わると思いますが。


何に興味を持つにしても、それが幸せにつながればいいです。


何してるのかな、どうしてかな、どこに行くのかな、同じだな、きれいだな、すごいな、何かな、好きだな、カッコいいな…


見たいな、ほしいな、真似したいな…


身の危険を察知することは必要だと思いますが、よくわからない、見慣れない、とかだけで、変だな、嫌だな、で終わるのは残念です。


知ることは、始まりだし、広がりだから。




そうだった、あれが好きだった、思い出した、あの人に似ている、あの人が持っていた、あの人が好きだった…


やっぱり人を連想するでしょうか。


人でなくても幸せにつながるならいいのです。




花も木も、山も道も、食べ物も服も車も家も、犬もネコも。


人の気配がなくても幸せを感じられたらいいのに。


人を忘れるほどの、もっと豊かな感性を持っていたらよかったのに。


幸せのために感性を持って生まれてきたと思うのです…。