生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

どっちでもたいしたことないよが聞こえない

f:id:kannpai:20220225194827j:plainアンカーのランです。

 

「判断」についてまだ考えていました。

 

考えてみると、毎日生きている限り誰でも「判断」の連続なのですね。

 

朝起きたら少し頭が痛いけど、顔を洗うよりまず薬を飲んだ方がいいんじゃないか。この服装で出掛けて問題ないか。折り畳み傘が見当たらないけど、探してでも今日は持って行った方がいいのか。

 

こんなことから始まって、信号が点滅しているけど止まったほうがいいか、前をゆっくり職場の人が歩いているけど追い越していいか、職場に着くと周りの様子を伺いながら様々なことについてリハーサルなしで判断…

 

今言っていいか、これは言わなくていいか、聞いてもいいか、どっちが先か…

 

書いていてバカらしくなりました。

 

こんなしょうもないことにどれだけエネルギー使ってるの、と自分にあきれます。


元々少ないエネルギーが底をつくはずですよね。

 

それほどエネルギーを使わずに判断できる人の方が多いんじゃないかな、と想像します。

 

でも一つひとつにエネルギーが要るのはもうどうしようもない。

 

なので、判断できた自分を労ってあげたいと思うようになったのです。

 

一つひとつにエネルギーが要るのは、判断ミスしたらどうしよう、という思いが潜んでいるからです。きっと。

 

そんなこと、どっちでもたいしたことないよ、という声が聞こえないからでしょう。


ずっと昔から聞こえないと思います。

 

心の中はいつも、どうしよう、ですね。

 

どうしよう、ももう友だちみたいなものですが。