生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

それぞれの年齢の自分と話し込めばいいんです

こんばんは。ランです。


「君は誰と生きるか」という本のサブタイトル?に「もし明日死ぬとしたら、誰と過ごしますか?」と書いてありました。

 

まだ買ってはいないんですけど。

 

それを見て即答で「自分」と思い浮かびました。

 

でも、何才くらいの自分かは、なかなか決まりませんでした。

 

たぶん、親しい人と過ごしたい、と思う人が多いのでしょうね。

 

自分はもちろんそこにいます。いるのが当然だから、わざわざ「自分」なんて出てこないのでしょう。

 

私にもいるにはいるけど、続いていないというか、断片的というか。

 

そんなものかな。

 

その時々の自分のキャパを越えていると、自分を取り巻くものや自分の気持ちを、しっかり記憶できないのかもしれません。

 

なので、最後の日には、3才くらいの自分と、10才くらいの自分と、14才くらいの自分と、20才の自分と…

 

本当はもっと小刻みにそれぞれの年齢の自分と話したいですが、時間切れになると思います。

 

今、気づきましたが、それなら今から、それぞれの年齢の自分と話し込めばいいんですよね。

 

まさか一日しかないとは思えないので。

 

もしかして全然違うことが書かれているのでしょうか。

 

読んでみたい本です。