生きているだけでいい。   大丈夫。

大好きだった父との時間をこれからもっと取り戻すはずだったのに、突然訪れた別れ。いつか、私の人生もなんとかなったよ、と空に向かって乾杯したい。その日まで続けたいブログです。

猫のUちゃん

わが家には真っ白な猫がいる。

とにかく可愛いくてとびっきりの美形。

ただいてくれるだけで、どれだけ癒されただろう。


扉の前で振り返って鳴く姿がまた可愛い。

お外出るの? に極短い返事をしてくれるようになった。

だからその声が聞きたくて返事をしてくれるまで聞いてしまう。


要求の「にゃー」は、ずっとこの「ベランダに出させて」だけだったけれど、1年位前からもう一つ増えている。

夜、長男が自分の部屋に連れて行って扉を閉めた時の「助けて」のにゃー。


膝の上にも乗ってくれないし抱かれるのも嫌な猫らしい猫だけど、夜は私のベッドに来てくれるようになった。

だから私を呼んでくれる。


猫が人を求めて鳴く声の可愛さといったら半端じゃないので、放っておくなんて絶対にできない。

扉の下の隙間から覗いてずっと私を待ってくれている。

その近くを指で小さくトントンとすると、必ずお喋りしているみたいな声になるので、もう即座に扉を開けたくなる。


でも、もし長男がまだ眠っていないと、連れて行かんといてや、と寂しそうに言うのがわかっているので、迷っていると、切ない声がずっと続く。

扉の下から可愛すぎる手を出してきたりもする。


3、4日前の夜はまだ長男が起きているようだったので、ぐっとこらえて自分のベッドに戻った。


最近寝つきがわるい。

猫のUちゃんが、裏切らんといてよーと、まだ扉の所で待ち続けてるんじゃないかと思うと、その日は余計に眠れなかった。

葛藤

私の悲しみは薄れないからどうでもいいと思うのだけど、でもやっぱり薄めようとしている。

父のことを忘れたくないけれど、なんとかしたいと思っている。


立ち上がろうとする自分に嫌気が差したり。

感謝するものを探しながら味方なんて期待しないと決めたり。

繋いでほしかった手を固く握り締めたり。


進むな、と言ってるんだと思う。

忘れようとする自分が絶対に許せないから。


人はみんな葛藤を持っているだろうけれど、今の私の中身は葛藤しかない気がする。

0点でも生きていく

私は 0点になってしまったけれど、生きていかなければいけない。


育ててくれた両親や今まで助けてくれた人たちに対して、このままでは申し訳ないから。

それに、このままでは自分が許せないから。

そして子どもがいるから。


母親が幸せそうにしていること。

それが唯一私が母としてできることだと、数年前から感じていた。

辛そうな母では子どもの負担になると思うから。

もうこれ以上ひどい母にはなれない。


だから、みんな嫌い、と内心叫んでいても、食べたいものなんてなくても、子どもたちの前では幸せな母でないといけない。


苦手な人を減らして、好きな物やしたいことを見つけて、本心から幸せな気持ちになれたらいいのだけど。

苦手な人はそのままでいいかな。
苦手だという気持ちも大事。


心からの幸せはもう無理でも、確かな安心感を得て、それを子どもたちに渡すところまでは、せめて母としてやり遂げたいと思う。

その子を抱きしめたい

父がいなくなった時からまだ泣くことができないでいる。

なぜか最近になってしょっちゅう父の顔が浮かんでくるようになった。

いつもの穏やかな顔。


それでも絶対に泣けない。
一度泣き始めたら、もう生活が成り立たなくなるから。


私のせいじゃなかったら、少しは悲しみは薄れてくる頃なのかな。


怖くて家族にも話せない。

それに、どうにもならない。


父のことをもっと早くわかって、味方になってあげていたらよかった。


父と一緒に、家族の問題を丁寧に振り返って、父が一番犠牲者だったんだと、そして、ありがとうと何回も言えばよかった。



自分につけていた点数が、この数年の自分なりの頑張りで60点とかになったりしていたのに、一気に0点になってしまった。


0点を取った子どもは、家族に見せたくないだろうな。
学校に行きたくないだろうな。
もう勉強も嫌だろうな。


その子をすごく抱きしめたい気持ちになった。

No.80 みんな怖かった

また、みんな嫌い病、になっている。

今までに何度再発しただろう。

再発というより、免疫の高い時だけ症状が抑えられている感じがする。


きっと思われている。

どうしてそんなに黙ってるの。
面白くない人。
よくわからない人。
距離感がぎこちない。
いつも笑顔っておかしいよ。
緊張します、なんて何歳で言ってるの。


私だって変わりたい。

私も思っている。

いつまで母親のせいにするの。
自分の人生に気づいて何年経つの。
同じような人はいっぱいいるよ。
子どもが可哀相。
そんなんだから、大きな過ちをしてしまうんだよ。


わかってるけれど、みんな嫌い、と自分を守るしか術がない。

でも、みんな怖い、と思っていた頃より楽になれたのかもしれない。

想像力で立ち上がる

悲しみとセットの景色や音を増やさないために、悲しみが薄れるまではできるだけ何も見ずに何も聴かずに、なんて。

じゃあどうやって悲しみは薄れるのか、と思う。


懐かしい歌、誰かの顔、声、道端の花、雨の音、食べ物、景色、そういうものに力をもらって、人は立ち上がれるんじゃないかな。


悲しみとセットになってしまっても仕方がない。

たとえ悲しみは薄れなくても、立ち上がることはできるんじゃないかと思う。


立ち上がりさえすれば、人の心には矛盾があるからその先はどうなるかわからない。


佇んでいる人からも、年齢の離れた人からも、本の中の人からも、力をもらえる。

生きていない人からも。


人は想像力で、生きていない人のことを納得するために、生きていない人と会話することだってできる。

本当は一番好きな季節

一年中で一番好きな爽やかな季節。

何より日の長いのがいい。


仕事帰りに2時間近くかかっても父に会いに行くのになぁ。

実家の近くで気になってる野良猫を、一緒に見に行って、と頼めるのに。



でも父はもういないから、日が長くなくてもいい。

ムシムシしてても、暑くても寒くても、雨でも雪でも、全然いい。

すぐに日が暮れて真っ暗になってもいい。



悲しい気持ちで景色を見ると、次にその景色を見た時には悲しい気持ちがよみがえるという。

感情と映像がセットで記憶されるから。

感情と音もセットで記憶される。


ということは、悲しみとセットの景色や音を増やしたくなければ、悲しみが薄れるまでは、できるだけ何も見ずに何も聴かずに過ごした方がいい?


それは今の生活では難しい。

それに、私の悲しみが薄れることはないから 。


また落ちてしまった。

ても、どん底は、意外と明るい。