父のことを考えないようにするために書いているのに、何かにつけて紐づいてしまう。
音楽や旅行や食べ物や。
カレンダーやメモ帳や薬や。
釘やニスやゴミ袋や。
運動靴や帽子や日曜日や。
思い巡らしても、目についても、父が目に浮かんでしまう。
父のことをそっと入れるために箱だけでなく別室がいる程になってきている。
私は結婚後も仕事の都合で少しの間実家にいた。
いよいよ出て行く時には、新幹線のホームまで両親が見送りに来てくれた。
後でその日のことを母が、「お父さん、家に帰ってから泣いてた」と、文字にすると普通なのだけど、「私にはどうして泣くのかわからなかったわ、変よねぇ」という感じで話してくれた。
続いて思い出した。
そういえば、私が流産した時も死産になった時も切迫早産で入院した時も、母は淡々と手伝ってくれた。
しんどくて家事ができなくなっていた時には何度も、2時間近くかけて手の込んだおかずを持って来てくれて、掃除をしてくれた。
でも、寂しいわぁ、とか、辛かったね、とか、一体どうしたの? とかの言葉はなかったと思う。
言葉が足りないだけなのに、どうしてだろう。
たくさんたくさんしてもらって、その時には有り難くて嬉しくて元気になるのに、どうして私はエネルギーを貯めていけなかったのだろう。
母は強いから寂しさを出さないだけなのに。
言葉なんてなくても、たくさんしてくれているのに。
私は贅沢すぎる。